8.18.2014

25歳から音楽を志した知人

ダリよりもゴッホが好きである。



25歳から音楽を志した知人は25歳までSEとして働いていたのだが「昔から音楽好きだったやん俺」ってことで音楽家に転向したらしい。すばらしいことだし、ぼくと似ている。現在彼は27歳。

でも彼は「自分の中の眠れる音楽家を取り戻したのだ!」とか「俺は自分が大好きだ。自分のしたいことをしているから」って息巻いている。自分のことを「私の愛しいホームパイ」だの何だの呼称していて、大変自己愛が強いらしい。

これが何か気持ち悪いっていうか。いや、ぼくも自己愛は相当強い方だし、自分は天才だと思ってるし、自分は大成すると思っているが、ちょっと彼は違うなと思う。彼を見ているともう一つの迷妄に陥っているとしか思えない。

というのもぼくは芸術家の正しい姿勢は苦しむことだと思っているので、彼のように、「ああ、音楽家になったぼくはすばらしいなあ」「会社辞めて自分の好きなように生きて良かったなあ」と思っている人間は、決して芸術家向きではないと思うのだ。

彼はどうも自由には見えない、というのが本音である。彼は会社に入っていたときの自分は、「本当に自分のしたいことを押し隠してきて生きてきた」って言うけれども、今度は彼は「本当にしたいことをしている自分」という新しい足かせを手に入れただけのようにしか見えない。結局、それは不自由の沼である。

その証拠に今ではほとんど音楽活動をしておらず、夢を叶える事業的なことをやっているらしい(よくわからないが講演などしているらしい)。彼は作曲しているようだしその曲も自由に聴くことができるがその音楽の価値はぼくにはわからない。しかし確かに彼のブログを見ていると芸術家よりも起業家が向いていると思う。なんか頭の中がビジネス書的なので……。

彼は実際に個人事業者として、現段階は成功しているし、ぼくのようなちっぽけな虫けらが何を言おうと「ひがみだろ」と言われそうだが、ぼくの言っていることは正しいと思う。何か知性に欠けるのだ。ぼくは芸術は知性の営みでなければいけないと思っている。だから誤謬、錯誤、怠惰のある芸術家は大嫌いだ。

彼の根本的な誤りは……会社を辞めて音楽家になったことが決して幸福の道ではない、ということである。だから彼の「ぼくは幸福だ」という感情が嘘くさいのだ。「なんで俺は会社辞めちまったんだ……ぐぬぬ。家賃払えない」とむせび泣いた方が本当だと思う。


ところで1986年生まれに何かと縁が多い。楽しそうなブログを見つけると大抵1986年生まれだ。インドで暮らしている人とか、詩人になった人、NPOで活動している人、いろいろいるけど、みんなそれぞれちゃんと自分の人生歩んでいるんだなと思う。もうそういう年なのか……。

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