8.22.2014

Aが学校に来ない

数日前からある知人(Aとしよう)が大学から消えた。無断欠席である。みんなAの不在を不審がっていた。が、「平常運転だろ」と揶揄する声も聞こえた。

彼は有名進学校の出身で医師一家の天才でありながら石のように寡黙で神経質な学生である。成績は悪いが非常に頭が切れる人間でぼくも一目置いていた。彼は授業態度がすこぶる悪く数日消えるくらいはよくあることだった。「進学できるのが奇跡」とも言われていた。

ある女がぼくの手を引っ張って言う、「相談したいことがある」と。彼女はAの元カノだった。彼女の話を聞いてみると、彼が学校から消える直前に連絡をとっていたという。一年近く連絡を全く交わさなかった彼らだが、唐突に彼から「一緒に帰らないか?」というメッセージがきたという。そして、彼女は用事があったので断った。それから彼はまったく学校に来なくなった……というわけだ。

「あたしすっごく罪悪感感じちゃって。私のせいなのかなあ」

まあ、女というものは常に架空の舞台を作りたがるものだ!女にはわからないかもしれない、男の気持ちというものは。ぼくはといえば石のようにだんまりを決めたAの、予想外の人間らしさに共感して思わず笑ってしまった。

「憂鬱にかられて、元カノに連絡する」とは、惨めな男のすることである。しかし、藁にもすがりたくなる、その気持ちはわかる。ましてやAのような、真の天才肌の人間にとって憂鬱はつきものであって、その憂鬱の深さも底知れない。なぜかはわからないが、医師や芸術家の家系というのはそういう憂鬱の発作を受け継いでいるものである。鉄面皮のAを女にすがらせるような憂鬱の深遠が彼に存在したこと、これがぼくには少し嬉しかった。
(彼はこれまでまったくそういう素振りを見せなかった!ただの「怠け者」で通していた。これは貴族的な態度だと思う)

さて、彼は今、絶望の海でもがき苦しんでいるわけだ。ぼくは平静としている。ぼくにだって、そういう憂鬱の波はあるのだが、少なくとも今は大丈夫だ。ぼくがいつか味わったのと似たような苦しみを彼も味わっている。極めて個人的な、憂鬱の発作を彼も耐えている、と思うこと。これがぼくには、少し愉快で、暖かい気持ちになる。

これは不思議なことだ。性欲などまるでないような聖人的人物が、歓楽街の風俗店に消えていくのを見たときのような妙な高揚がある。けっきょく、そういう風に生まれついているのだろう、天才というものは。いくら隠してもほころびが見えるものだ。人生に苦しみ、憂鬱に反吐を吐きながら、生きていくようにできている。

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