8.21.2014

コリン・ウィルソン「アウトサイダー」

コリン・ウィルソンの「アウトサイダー」を読んでいる。まだ中途だが、こいつはバツグンの一冊だ。

ゴッホやヘッセ、カミュやサルトル、ドフトエフスキーやニーチェに至るまで近代思想史を彩る天才たちを「アウトサイダー」とし、彼らの生態を明らかにするちょっとした体系的病跡学とも言える書。
ちなみにぼくは上記偉人たちはみんな大好きだ。並ならぬシンパシーを感じる。

コリン・ウィルソンがこれを書いたのは驚くべきことに24歳のとき。ぼくより年下だ。彼は16歳のときから図書館に籠もりきりだったと言う。そして、夜は野宿、昼は大英博物館で独学・執筆活動をしていたという。(けっこう良い生活だ)

なかでも感心した内容は、コリンがアメリカ心理学の祖父ウィリアム・ジェイムズを引用した部分である。
最近の心理学では……人間の意識一般について閾ということが言われているが、これは、人間の注意を喚起するに必要な、騒音や圧力などの刺激の量を表している。高い閾をもった人は、低い閾をもった人が即座に目覚めてしまうほどの騒音のなかでも目覚め続ける……
……苦痛の閾の一方の側に平素住んでいるものは、他の側に平素住んでいるものとは異なった種類の宗教を必要とする、というふうに思われないだろうか?
こう引用したコリンは続けて
これこそ、われわれの「アウトサイダー」研究が知らず知らずのうちに近づきつつあった問題なのである。「アウトサイダー」を探求すればするほど、彼は変わり種ではなく、「楽観的で健康な精神の持ち主」よりもただ敏感であるにすぎぬという結論がはっきりしてくる。 
ここはまったくぼくも同意なのである。つまり芸術や哲学に魅入られる人間「アウトサイダー」は、普通思われているように高尚な精神をもっているからではなく、ただ鋭敏な神経をもっているだけなのである。ぼくは四月にこう書いた
スーザンケインという人が著書「内向型人間の時代」のなかで、このように書いていた。「ひとは内向性、外向性で区別することができるが、その性質は乳児から決まっている。ある刺激に対し、無反応だった乳児は外向的に育ち、反応を示した乳児は成長後も内向的である。」われわれには個々人にVolumeのつまみがあり、それは先天的なもので、ハンダで固定されてしまっているのだ。
これとまったく同じ。神経が敏感か、そうでないか、そのつまみ次第で我々の人格果ては人生、運命まで変わってしまう。ユングの言った内向型、外向型もこうした神経の感受性の違いに依るものだろう(もちろんアウトサイダーは内向型)。

0 件のコメント:

コメントを投稿