8.13.2014

雑記

昨日は久しぶりに日記を休んだ。というのも実家に帰っていたため。

帰省はとてもリフレッシュになった。満足な食事と自由な時間、おいしい空気と適度な健康。何かこうわだかまった感情が整理されたような感覚。

休みの日に読んだ本は「禅とオートバイ修理技術」の下巻とカイヨワの「遊びと人間」、サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」。

禅とオートバイ修理技術はすごい本だと思った。なんといっても、筆者は本気で打倒アリストテレスを試みてるのである。まるでドン・キホーテじゃないかね。ぼくたちはギリシャ哲学と、それに由来する西洋哲学を無条件に受け入れているけども、それらが本当に正しいのかは今一度考えてみる必要がある……と思わせられる。ラストの展開はどうなのかなって感じだけど。

サリンジャーの短編集は非常に会話が上手で参考になる。「ライ麦畑」で有名なサリンジャーだがあの本は中学生のとき読んであまりおもしろくなかったので今更読む気が起きない。しかし子どもだとか女性の表現が尋常でなくうまい作家であると思う。決してすごいストーリーやドタバタがあるわけでもないけど、しっかりと読み応えがあっておもしろい。ぼくの好きな「質量を持った作品」である。

サリンジャーを読んだあとに日本の小説家の短編集を少し読んだけどヘタクソすぎて読めたものではなかった。なんか説明がくどい気がする。情が入り過ぎている気がする。それはまあ日本人らしい「親切さ」なんだろうけど。何かこう突きはなしたところがないと、小説というものはダメになる気がする。大御所の中島らもや筒井康隆は安定しておもしろい。特にらもの文体は好きだ。

カイヨワの「遊びと人間」は遊びをマジメに探求したホイジンガ以来の著作だが、正直あまりおもしろくなかった。これは「禅と~」を読んだあとだからだろう。カイヨワは現代社会をアゴン(競争)とアレア(偶然)の勝利した段階だとしている。つまりミミクリ(模倣)やイリンクス(めまい)は追放されたのだと。たしかにぼくらの社会は競争と偶然に支配されているように思えるがしかしミミクリやイリンクスの軽視される社会はどうも味気ない。とくにぼくはイリンクスが好きだ。だから酒もバイクも好きなのだと思う。
とくに小説家にとってはミミクリとイリンクスの要素は欠かせないと思うがどうか。小説家は登場人物を演じなければならないし、ある程度自分の作品に陶酔し没我しなければならない。もちろん野心的なアゴンの性質も持つべきだと思うが(アレアとは遠くあるべきだ!)

まあ書評はこれくらいにして、ぼくの凝り固まった頭は田舎の自然な環境の中でしゃんとまともになった気がします。地に足がつくというかね。

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