8.02.2014

神経症者の恋愛は地獄なのか

前にぼくは、作家を神経症タイプ(神経質型)と躁鬱病タイプ(循環型)に分けた。
そして、前者は恋愛に縁遠く孤独死するようなタイプ、後者は早婚することが多く、愛多き人生を歩む、というようなことを書いた。

これはけっこうあたるのだと思う。神経症型のぼくからすればあまり認めたくない事実だが、神経質な人間の恋愛はどこか異常性を孕んでいるのだ。

例えば、神経症であるぼくを見てみよう。ちょうど、過去の恋愛に神経症の典型的エピソードと思えることがあった。
ある子と付き合って一ヶ月くらいの頃。買い物にいく途中で、道ばたで彼女に似た女の子を見つけた。その少女は男と仲良く歩いていた。実際には別人だろうし、彼女はそのときバイト中のはずで、どう考えてもそんなところを歩いているはずはないのだが……。

「絶対に浮気している」という固定観念にとらわれて、ぼくはバイト終わりの彼女にすぐ会うことを要求した。そして、状況から彼女ではなかったと知りホッとした。(まあそんなことが度々あったので別れたが)

自分でもおかしなことであるとわかっているのに辞められない。これは神経症の典型的な症例である。例えば、もはや衛生上意味がないとわかっているのに手を洗わずにいられない。鍵が閉まっていることを何度も確認したのに、勤務を放棄してまで確認する。

マルセル・プルーストは喘息持ちだったと言われるが、彼の場合は神経型の喘息だったと言われる。つまり彼は実際には喘息ではなかったのだが、「喘息である」という固定観念から、まるで本当の喘息患者のようなアレルギー様の発作を起こしていた。
彼自身なんども医師から忠告されているし、神経性の発作であることを知っていながら、発作は起きてしまう。まったく倒錯している……。

統合失調症や鬱病などの他の精神病と比べて、神経症の病理は未知の部分が多い。脳の器質的問題だとか、神経伝達物質の過剰過小とか、幼年期の親の愛情の欠如などと言われるがはっきりとはしていない。治療法もせいぜい森田療法が多少有効であるとされているくらいか。
大部分のひとは思春期あるいは青年期を過ぎると症状がやわらぐというが、完治することはあまりなく、多かれ少なかれ病気と付き合っていかなければならないようだ。

神経症者の恋愛は病的である。病的に相手に執着してしまう。

だから、神経症が好む恋愛は「高嶺の花の女性に花束を捧げる」ようなことではない。一目惚れするような美人に対し神経症はすなおな気持ちを吐くことはない。こうした危険な冒険は彼にはできない。
交際女性に逃げられてしまうかもしれない……。その疑念が少しでもあるだけで、次第にそれは育ち、やがて彼は疑念に飲み込まれる。
自分では理不尽であると理解していながら引きずり込まれる恋愛、疑心暗鬼にさいなまれながら深みに落ちていく恋愛、それはほとんど神経症的な恋愛と呼べる。(「神経症者のいる文学」)
神経症が求める女性は「自分に全てを捧げるような女性」である。つまり、不貞などもっての他。生活の全てを自己に献上し、自己の支配下におけるような女性。人間としての意志など持たない精神的不具……。

しかし神経症者は恋愛において弱い立場にある。こうした支配欲求は、傷つけられることを極度に怖れていることに他ならない。だから、女性は機敏にそういう弱さを嗅ぎつけ、神経症者に失望し離れようとするか、あるいは優位に立とうとする。

愛する者は愛される者よりも社会的にはるかに上層に位置しながら、したたかな相手に翻弄され、嫉妬と疑心暗鬼の地獄にさいなまれ、破局を迎えるのである。(同書)


……

そう!
神経症者の恋愛とは地獄に他ならない。

しかし、地獄でない恋愛などあるだろうか?あたたかい恋愛があるとすれば、そこには妥協とあきらめがあるのではないだろうか。「正常な恋愛」、そんなものあるだろうか。恋愛は常に病気ではないか。

互いに高め合うような夫婦関係。気心の知れた「ともだち夫婦」。互いに相手を尊敬し、尊重する夫婦……。そんなものが何になるだろうか?また、そんなもの本当にあるのだろうか?

世の中には目を逸らすべきことが多い。そして、恋愛においてはそれらがもっとも凝集されている。

……

考えたのは、神経症者は恋愛において完璧主義的、理想主義的なのではないかな。ある作品に対して仮借なく取りくむのと同様に、恋愛においても少しのほころびも許さない。上のぼくの発言を見てみても明らかだ。だから、神経症者にとっては恋愛は地獄なのだ。完璧な恋愛などないのだから。

神経症者は、おそらく愛情の概念を理解していない。愛情を知る契機がなかったのかもしれない。
多少の過ちを認め、相手に干渉を許し、いびつな形ながらも関係を維持していくこと、こういった「成熟した」愛情の形を神経症者は認められないのだ。だから相手を支配したり、恋愛を怖れたりするのだろう。

もっとも、神経症であっても立派に家庭をもっている人はいるだろう。その人の努力をぼくは尊敬する。

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