8.03.2014

ベース記念日

朝九時起床。珍しく遅くに起きた。この頃は毎朝六時に起きているのである。昨日の深酒にやられたのだろうか。最近はいくら飲んでもちっとも酔わないと思っていたのだが、睡眠時間が伸びているのであればきっと身体に負担となっているに違いない。

今日は日曜日で時間があるからと、モニターに向かって何か小説を書こうと思ったが、断念した。

いちおう内容を書いておこう。それは夏休み中の小学生の少年が主人公の話だ。
かいつまんで言えば、少年が中年男性(中身はぼくのようなへんてこな人物)と出会って、一緒に遊んだり話をする。少年はその男と遊ぶことに夢中になるけども、ある日を境にぱったりと現れなくなる。ここでちょっと男の自殺を匂わせる。そして少年の夏休みも終わり、日常に戻り、いつしか男のことを忘れていく……という流れ。最後は男の死亡記事で締めくくる(安部公房っぽい)。

が、あまりに書く気が起きないので諦めた。どう書いてもつまらなく見える。書き出しが凡庸なのだ(あらすじも凡庸だが)。書き出しが凡庸な名作はいくらでもあるが、名作だから許されるのである。この序盤ではだれも読んでくれないだろうな、と思うと続きを書く気がおきなくなる。書き出しが凡庸なのは、結局あまり書きたい熱意がないからだろう。別に書きたくなければ書く必要はない。どうせダメな作品になるのだ。

ぼくは大体evernoteにプロットを書く。そこには
少年
おっさん

おっさん自殺する
とだけ書いてあった。さすがに適当すぎるな。

 ――

消化不良で何だかもやもやする気分なので、部室に行って楽器を練習することにした。単調な基礎練習である。楽器をストイックに練習すると精神が癒やされる。しかしひたすら厳格に練習する自分が、それに耐えうる自分が、最近は少し悲しく感じることもある。ぼくは「舞踏」や「飛翔」といった言葉からはほど遠い類の人間である。天才型ではないだろう。

ぼくがときどきここに書く「七年続けている楽器」とは何の楽器なのか?気になる方もいるだろうが、これは言わないことにする。しかし、今日から新しく始めた楽器は「ベース」である。周囲にベースが欲しい、としつこいくらい公言していたら、ひとりエレキベースをくれるという後輩が現れた。それを今日譲り受けたのだ。

欲しいものは周りに表明しておくに限る。これは原付でもそうだし、女でもそうだ。原付は捨て値でくれる奴がいるかもしれないし、女は黙って狙っていると他の奴に取られる。

というわけで、楽器をひた練習してそれに疲れたらベースを弾くという美しいサイクルが生まれた。

ベースは非常に楽しい。グルーヴを作っているという感覚がある。ベースは地味だし、悲しいことにベースソロは不人気なようだが、演奏する側にとってはこんなに楽しい楽器もないだろうとぼくは思う。あの低音には魂と空間を変容させるような魔力がある。

朝から六時間ほど演奏して、さすがに腹が減ったのでカップラーメン用の水をトイレに補給しにいった。
遠くトランペットの音色が聞こえた。あいつに違いないと思ったらやはり友人の女だった。朝からずっとトランペットの練習をしていたらしい。子どものときから吹いているだけあってさすがに音がきれいだ。彼女の本職はヴァイオリンだが、何をやっても彼女の楽器は「鳴る」というより歌っているように聞こえる。

彼女にドラムを仕込んで、8ビートを叩かせた。当然へたくそなのだが、ぼくはそれに乗っかった。
ベース、めちゃくちゃ楽しい。そして気持ちがいい。コードや理論はさておいて、適当に弦を抑え、リズムとアクセントだけを意識して演奏した。それだけで昇天しそうな気持ちになる。
まったくなんていう世界だろう、音楽の世界は!ぼくはこちらの住民となって、粗雑な現実世界から消え失せたい気持ちになる。

彼女はクラシックあがりで、ぼくの知らない音楽をたくさん知っている。最近のお気に入りを聞いておいた。ドボルザークの第八番、サンサーンスの「死の舞踏」が良いとか。

今聴いているが、彼女は相変わらずワルツが好きなようだ。ワルツ、三拍子――とはもっとも原初的なリズムと聞いたことがある。今は四拍子が一般的だが……。三拍子の持つ舞踏的で、驚きに満ちたリズムはぼくも好きである。現代はピラミッドよりも高層ビルの時代なのだし、きっと四拍子が現代的なのだろう。
(調べると、農耕民族は四拍子を好み、狩猟民族は三拍子を好むようだ。日本人は完全に四拍子が身についているようで、例えば五七五は四拍子リズムである。)

音楽が好きな女、しかも独りで何時間も練習できる女は非常に魅力的だが、恋人にするにはトゲが多すぎる。そんなことを思いながら、酒を飲みつつ、これを書いている。今日は日記的に書いてみた。これはこれで楽しいです。

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