8.02.2014

精神得ました(報告)

ぼくはまったく自分が異常な人間であると考えている。自分の異常性に嫌気がさす。だから、ぼくの青春の大部分はこの病気を治すことに費やされた。実に十年近く、生活の中心に精神の病質があった。病苦とそれに対する悲哀に人生が塗りつぶされていた。

最近になって、やっと自分のことを認めることができるようになってきた。それは数多くの心理学や、文学、社会学の本のおかげだった。ぼくはぼくのような人間がいかに生きてきたかを知ったし、ぼくのような人間が決して「出来損ない」などではなく、正しい道を与えられさえすれば何らかの偉業をなしうることを知った。

やっと人生があるべきところに落ち着いたような気もするし、かえって、ひとつの峻厳な運命を目の当たりにして困惑しているようなところもある。

ところで、ぼくの過去の十年は無駄だったのだろうか。あの迷妄に満ちた陰惨な時代は何かの意味をなしているのだろうか。それはわからない。とにかくぼくは、世間の目や常識から自分を切り離すことを知った。ひとから忠告をもらうよりも、自分自身の主人となり、奴隷となることを知った。だからぼくは自分の半生を自分の目で見なくてはならない。

過去辿ってきた道は、今この文章を生みだしている。そしてこれからの文章も生みだすだろう。ぼくは過去を愛することもできないし、嫌悪することもできない。過去とはそういう対象になるものではない。ただ「在る」のであって、そこに色や匂いは見つからない。

ぼくの過去がただ「在る」のであれば、未来もただ「在る」のだろう。ぼくは肉を食う、タバコを吸う、女を抱く、物を書く。だが、それが何になるだろう。ただぼくは生きているのだ。生かされているのでもなく、眠っているのでもない。

ぼくはぼくの精神を得た。ぼくの精神はもはや意志や欲求に翻弄されることはない。人間に課せられたいかなる拘束具もぼくの精神を縛ることはできない。肉や煙草、女はぼくの精神の表象をただいたずらに波打つだけで、その奥底の静かな光を失わせることはできない。

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