8.17.2014

自由偏執狂党戯れ言演説

ナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」トップ5 
1. 「自分自身に忠実に生きれば良かった」
2. 「あんなに一生懸命働かなくても良かった」
3. 「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」
4. 「友人関係を続けていれば良かった」
5. 「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」 
自由に生きよう。

自分自身というものは、どうやら思った以上に傲慢であって、自分本来の欲求にそぐわない方向に理性が進もうとすると、強引に軌道修正する。帰ってこい。お前の道はそちらではない……、と。この力はあまりに強大で(というより恐ろしいほど持続的で)、だからこの自分自身の欲求を退けることはたぶん無益であり、貴重な人生の時間をロスする結果となる。

だからぼくらにできる最短の道は、自分自身に自由にさせてあげることである。自分自身の欲求に忠実であることである。君本来の自己が、砂場遊びが好きだったら存分にさせてあげることだ。庭に砂を撒いても、深夜の公園でもいい。気の済むまで砂遊びをさせてあげる。君の本心が、レンガや岩を欲しがったら、与えてやる……。君はバカげている、と思うかもしれないが、いつの間にか君はSEではなく建築家になっているかもしれない。そして、SEよりも建築家の方が幸福で実り多い人生を送れるかもしれないのだ。

いろいろな人間が自分の職業だとか、結婚のような人生の決断事を「なんとなく」決めてしまっていることにぼくは驚く。君のその選択は人生を縛ることになるのかもしれないぞ。今、まったく違う方向に進まなければ次第に君の心は渇いてしまって、取り返しのつかないことになる……。

とは思っても、高校選択や大学選択の延長上に職業の選択をしている彼らとは、根本的に意思疎通も不可能なのではないかと思うこともある。君の周りにはもっといろいろある……。芸術家、音楽家、あるいは旅人、詩人。すばらしい職業がきっと……。決して口には出さないが、言えばこう言われるだろう。「現実を見ろよ」

現実?見ているさ。

ぼくのかつて愛したある女の子は、物心ついたときから楽器を触っていた。そして二十数年音楽を練習し続け、左利きであり、彼女と同じクラシック音楽を演奏する友人曰く、彼女は「天才」であった。そんな彼女は学業においても逸出していて、とある一流メーカーに内定を貰ったという。彼女はそこで働くのだとか。

「何年か働いたら、防音室付きの一軒家を買うの」。彼女はそれが夢だと言うが……。

まあ、そんなものかもしれない!人生なんてね。ベートーヴェンみたいな人生よりかは、日の当たる部屋で子どもたちに音楽を教えてた方が幸福じゃないか。そう、そんなものでいいのだ……。

結局、どのように生きても悔いの残るように人生はできているのだろう。自分に忠実に生きることは必ずしも幸福の道ではない。それどころか、普通は茨の道である。しかし真実の道ではあると思う。なぜなら幸福の道は既成品……。ロールモデルである。ぼくの知人は、「友達百人に見守られながら死にたい」と言っていた。ぼくは、正直、失笑してしまった。もうその知人とは一言も交わしたくなかった。

ぼくは死ぬとき後悔するだろうか?
自由に生きられなかった、と内心の魂が叫ぶような人生だけは送りたくないものだ。それだけを規範として人生を歩んでいきたいとすら思う。

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