8.28.2014

アートとテクネ

昨日は少し気が滅入っていたが、今日は調子がいい。

過重な労働の持つしびれのような作用が、ぼくに暖かな多幸感を与えてくれた。マルクスの言ったように、労働は何も悪いことばかりではない。

コリン・ウィルソンは次のようなことを言った。「アウトサイダー」は最初、「私には孤独が必要だ」と言うが、次には新しい経験が必要だと知るに至り、新しい世界に飛びこんで行く……というような。ぼくもあらゆる抑圧から解放されて「自由になりたい」と思うときがあるが、そのような自由は絵空事だろう。ぼくの前にはやるべき仕事があるし、組織があるし、生活がある。それから逃れることはできない。

今日も仕事をがんばっていると、後輩の女が肩を揉んでくれた。ありがたい。彼女は聡明で、賢い女である。物怖じせずにしゃべり、如才なく、相手に取り入るのが上手い女性である。そしてスタイルはよく、美人でありながら、恐ろしく個性的な格好である。……ぼくはこのような女性に弱い。

肩を揉まれながら思ったのは、彼女とのこの良好で幸福な関係を続けるにはどうすればよいかということである。彼女が労りの心を持ってぼくの凝った肩をほぐし、単純にぼくは感謝するという関係。結局ぼくは、自分を隠すことにした。彼女への自発的な好意を示さない。そして彼女がぼくにくれる好意に対しては、きっちりその分だけお返しするのだ。

彼女にとってぼくは偶像でなくてはならない。クールで、優しくて、知性的……。ぼくが内面の激情をぶちまけて、彼女に求愛したり、嫉妬したとすれば、たちまち彼女は僕の元を離れるだろう。

変だろうか?良いところ、悪いところを含めて、本心を何もかもさらけだすのが信頼関係だ……と思われるかもしれない。しかし、偶像を作り上げるような恋愛こそぼくは本物だと思う。だれだって、好きな人の理想像でありたいと願うものだ。父親は子どもにとってヒーローでありたいし、母親は聖母でありたいと願う。そのような感情を、欺瞞だとか虚偽だとか言う気は起きない。

彼女も、控えめに接するぼくの態度にある程度の共感を持っているような気がする。そう、それだけの思慮を彼女は持っている。彼女は神秘的な能力をもった巫女的な女だ。彼女と同じ空間にいると、ただ精神の内奥で通じ合っているという気がする。まあ、全部ぼくの勘違いかもしれないが……。

……

Art、という言葉はギリシャ語のテクネ"techne"の翻訳なのだそうだ(technique : テクニックの語源でもある)。そしてテクネとは、「内在する原理を正しく理解した上で何かをする」という意味なのだとか。ぼくはこの言葉にたいそう惹かれる。「内在する原理を正しく理解した上で何かをする」……。

ぼくは音楽において、若輩ながらすでにこの領域に達していると感じる。楽器の持つ構造、原理を理解し、どこをどうすればどのような音が鳴るかを理解している(つもりだ)。ひとつの理想の”音”を持っているし、それに合わせるためにどうすればよいかを知っている。だから、中途半端な気持ちで楽器に触れる奴が大嫌いなのである。楽器に歌わせるのではなく、単なる痙攣やかっこつけで鳴らす奴が。楽器に触れていながら、楽器を阻害する奴が。

ぼくは文筆家になりたいと願う。そこでもtechneは必要だろう。文筆の原理は言葉だ。言葉の意味を理解し、言葉の持つ力を理解し、その上で「何かを」したいと思っている。

ちなみに今書いているこのどうしようもないブログも、ぼくの鍛錬のひとつである。え、こんな駄文が?と君は思うかもしれない。しかし、ぼくは思うのだが、ある楽器に習熟しようという場合、コードやスケールの練習をするよりも、その楽器と一週間、肌身離さずに生活した方がよほど楽器ひいては音楽の理解になると思う。

ぼくはぼくで、言葉を転ばして遊ぼうというわけだ。言葉をつかんで、ひっぱって、ときに愛でて、ときに壊して……全身で、言葉を享楽するということ。それがまず一歩だと思う。

言語というものは、人間にとってあまりに重大なものである。とあるベストセラー書には、「始めに言葉があった」と書いてある。たぶん真理探究が好きな人間にとっては言葉というものは最終的に行き着くものではないかな。

楽器や文筆だけでなく……女性においても! techneをしたいと思うのだけどね。つまり、女心を理解し、女の心を釘付けにするような……。ただ、女性という楽器を鳴らしたいだけなのだ。女性の根本を理解したいだけなのだ。気持ち悪いって?けっこう。

いよいよ、忙しくなってきた。以前のようにまとまりを持った文章を書くことは難しいだろう。今後このブログには、こうした理解不能な文章が続々書かれていくと思う。

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