8.24.2014

転落

ぼくは自由であるべく生まれついてしまったのかもしれない。

例えば、ぼくの星座は「射手座」である……。sorede, ぼくの「動物占い」は「狼」である。そんで、ぼくの体躯は、「精悍型」である。MBTIテストは、INTj型である……。(いずれも自由を求める人物の象徴)

しかし不幸なことはこの不自由な国……おそらく世界でも類を見ない集団同調生活の中に生まれ落ちてしまったことであって。そのため、ぼくは自由を渇望しながら、それが叶えられないために、神経を患った。(思えば、ぼくの神経が異常を来したことと、日本教育の集団生活とは無関係ではあるまい)

と、考えることができる。

しかしぼくは最近になって自由のしっぽをつかんだような気がするのだ。それは結局、自分自身に隷属するということだ。会社でも、親でも、恋人でもなく、自分自身が自分自身の奴隷であるということ。これはなかなかできることではない。たぶん人間の九割は「だれかのため」・「なにかのため」に人生を空費している。
最も孤独なもの、最も隠れた者、最も脱俗的な者、善悪の彼岸にあって自分の徳の主人であり、ありあまる意志を持つものこそ、最も偉大なものであるべきである。(ニーチェ)
ぼくの人生は傍目から見れば破滅である。そこそこの知能、そこそこの幸運に恵まれながら、すべてを捨て去って……。ぼくはたぶん険しい道を行くだろう。たとえば、就職なんてしないで海外に財産も持たずに出てしまうかもしれない?野宿を繰り返して、ホームレスの仲間入りをするかもしれない?

ともかく、普通の道……暖かい、色とりどりで、それだけに欺瞞に満ちた世界はぼくの肌に合わない。

ぼくはたぶん、海外に行くことになるだろう。これは意志や願望というよりは、予感なのだけど……。(しかし「確実にくる未来」は必ず、予感という形で現れる)ニューヨーク?パリ?あるいは、ニューデリーでもいいのだが……。日本はちょっと……でも最終的には、日本に戻ってくるだろう。どうしたって、四半世紀過ごした国だ。

海外に行くのは、1年後か10年後かわからない。期間も数ヶ月か、10年かわからないが……。



ところで、ぼくの文章を書くスタイルは日によってまちまちなのだが、もはや、「これを訴えたい」とか「上手く書こう」という意志すらなくなってしまった。まあ、これも自由に書くということなのだろう。

例えばちまたでは、「女に好かれるための25の方法」だとか、「海外旅行で気をつけたい10のこと」みたいなタイトルが主流である。これはわかりやすくて、実に良い。コーラの缶には「Cola」と書いてあって欲しいと思う。栄養ドリンクの栄養素を知りたいと思う。だから、好ましい書き方なのだが、しかしぼくの書きたいものとはまったく正反対だろうな、と思う。

ぼくが書きたいものは商品ではなくて、ひとつの芸術なのだ。

しかし、芸術とはね?笑わせるよ。技巧も経験もないくせに。

とにかく、ぼくはこのブログを続けたいと思う。いまは書くことと読むこと、これに人生を費やしたい。

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