8.22.2014

鋭敏な神経

それで?

昨日ぼくはひとつの結論を見つけた。結局のところ……苦痛の閾の問題なのだ。神経症者は小さな苦痛、刺激、不幸に敏感であるということ。小さな物音でも眠れないということ。そしてその鋭敏な神経こそが、哲学者を形作り、芸術家の作品を生みだしているということ。部屋中に牛乳瓶をしきつめて騒音と光を閉ざしていた作家はだれだっけ……。
まあそんなものだろう。絵画の細かい文脈やニュアンスをつかめない人は、どうしたってボールを追いかけている方が楽しいものだ。

ソレデ。

神経過敏の人間はどう生きるべきか。

ぼくらは圧倒的に苦痛だらけの人生に直面している。普通の人が笑って生きている快適で平和な世の中にあって、ぼくらは眉をしかめ、吐き気と戦って生きている。孤独だ。だから何かに救いを求めて生きてきたわけだ。
どうやらぼくらは狂気とすれすれのところを生きねばならないらしい。ニジンスキーもゴッホもニーチェも発狂したわけで……。ともすれば踏みはずして狂気の闇に転落しかねない。精神は天動説だ。集団社会から離れた人間に待っているのは未知の世界と奈落の崖。

ゴッホもニジンスキーも知らなかったことだが……。こうした性質は治しようがないということ、そしてこの鋭敏な神経が創作の源泉になるということ。これは知っていて損はないだろう。さすがに哲学の天才ニーチェはこのことを知っていた。
この苦痛は……われわれ哲学者を駆り立てて、自己の最深部まで下降させ、同時に、今までわれわれが自分の人間性を据える土台としてきたすべての信頼と善良さをみずから剥奪させる。このような苦痛が果たして人間を改善するかは知らぬ。が、それが人間を深化させることは確かだ(「悦ばしき知識」)
で、もうこうした敏感な神経は治しようがないです。脳みそを入れ替えない限りは。何しろこの「苦痛の閾」は生後すぐにわかることなんでして。病院の新生児室でも、泣きじゃくる赤ん坊とすやすや眠っている赤ん坊がいる。そして三つ子の魂百までよりもっとひどくて、生まれたときからこの「閾」は変わらないことがたぶん明らかになっている。もしかしたら、精子や卵子の段階で決定しているのかもしれない。もうこれは運命だと受け入れるべきなんですね。

ぼくらのこの脳みそは病的なのか、欠陥なのかはわからない。しかし言えることは、古来から多くの人間がこの神経をもって生まれてきていたということ……。大げさに言えば、仏陀やキリストやムハンマドはこっち側の人間だ。じゃ、彼らは欠陥者なのか?神の失敗作なのか?……なんて言ったら殺されるだろう。

どんな社会にあっても人口比1%の人間は統合失調症を発症するが、古来では統合失調症患者はシャーマン的な扱いを受けていた。霊の世界と人間の世界の媒介者として必要とされていたわけだ。今では治療すべき「病人」であり、薬物治療の対象だが……。まあ、精神異常は必ずしもマイナスにはたらくわけではないのだ。とらえ方次第では「gifted」と言えなくもない。

ぼくらは、だれを目標に生きれば良いのか。おそらく、それは父母ではないだろう。友人でもないだろう。会社社長とか、金持ち、政治家のような社会的成功者ではないだろう。ぼくらが目指すべきは、たぶん作家、芸術家、宗教家。

うーん、例えばヘッセとか?ガンジーとか?あの辺りの、成功している人間……。偉大な業績をもたらしながら、狂気に終わらなかった人間を目指すべきだと思う。「俺はゴッホになる」と言う人がいればそれはそれでいいと思うが。
われわれはゴッホもロレンスもともに失敗したことを知っており、この失敗の理由のひとつは……つまり、劣等意識とも言うべきものを生むあの無自覚がそれである。(「アウトサイダー」コリン・ウィルソン)
自信をもって生きればたぶん成功するだろう。とは言っても、アルジュナ曰く、「成功と失敗は平等」だから……。「成功した途端にダメになる」芸術家なんていくらでもいる。

ゴッホやニジンスキーのように、地獄の業火に焼かれるような生き方もぼくはありだと思う。自分がなりたいかといえば難しいが。

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