8.08.2014

野宿のおもいで

なんとなく"気分"にかられて、バイクで野宿をしてきた。林道の開けたところにテントを設営して、一晩をたったひとりで過ごすというもの。前回はオートキャンプ場にテントを設営したのだけど、家族連れがいて騒々しいのが嫌だった。

「野宿」と言うと驚かれることが多い。「危なくないの」「怖くないの」「ホテル行け」と。でも、かつてどれほど多くの人間がこうして野営してきただろうと思うと、むしろ人間として自然な行為をしている気持ちになってくる。

実際、テントを設営してその中で伸びをしたとき……川の水で頭髪をわしゃわしゃと洗うとき……焚き火の前でぼんやり火を見つめているとき……。こうした瞬間の中では先祖返りしたような気持ちになる。

……しかし、楽しいことばかりではない。野宿ってめちゃくちゃ怖いのだ。なにしろ携帯も圏外だし、民家までは険しい道のりが数キロメートルある。当然真っ暗で、一歩間違えれば崖下に落ちる。叫び声は深い森の木々に吸いこまれてどこにも響かないだろう。熊でも現れたら、映画のようにチェーンソーを持った狂人が現れたらなすすべがない。警察も他人も自分を守ってくれない。そう思うと自然と気が引き締まる。自分の身は自分で守るしかないのだ。

こうした孤独、絶対の孤独を先人達は耐え抜いてきたのだろう。不安と戦い、恐怖と戦ってきたのだと思うと感慨深い。

不思議な感覚である。神経が鋭敏になって、川のせせらぎや、葉擦れの音が普段と違ったニュアンスを持つ。それに、たぶん町中で見れば気持ち悪いだろう虫たちにも妙な愛着が沸いてきて、慰められる。

こういう気分は海外旅行に行ったときのそれに似ている。ただ自分ひとりを恃むような環境である。同じ気分を味わいたいのなら、野営という形の方がずっと経済的でお手頃だと感じた。まあ、それでも「数日間が数ヶ月にも感じる」ような濃密な体験をするにはやはり海外がいいと思うけど。
自分探しのために旅に出るのは、旅先に何かがあるからじゃない。むしろ、旅先に何もないからだ。日常の楽しみや誘惑を断ち切って、一人でゆっくり考える時間を作るために、あえて何もない所へ行く。それが旅なんだ。(iwatam氏のツイート)
iwatamさんの言うことはいつでも正しいのだ。


もともと静かな環境で読書をするための野営だったが、あまり頁は進まなかった。ソローの「森の生活」というお決まりの本を持ってきたのだが。あと、まったく逆方向の反自然主義の本「さかしま」も持ってきていた。こちらは開くことすらなかった。

それよりも、火を見ながら、あるいはテントの中寝袋にくるまって、じっと物事を考えていた。少し酒に酔った頭で、ぐるぐるといろいろな事柄を逡巡しながら、時間だけはたっぷりあったから、ひたすら考えた。考えて、眠って、また思考の海に沈んだ。

将来のこととか、過去あったことや、自分のこと、女の子のこと、音楽のこと、文筆のこと……。山中。夜の闇は何の制約も持っていないように思える。だから、ぼくの思考もまったく制約なくいろいろなところを飛び回った。

朝起きてみて、あれだけ考えたのに、何ひとつ答えが出ていないことに気づく。しかし妙に気持ちの整理がついたというか、いろんな方向を向いた悩み事が統合されて、シンプルな思考になったような気がする。

野宿、いいなあ……と、バイクでばたばたと山道を駆け下りながら思いました。

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