8.03.2014

夢追いびと

昨日は大学の友人たちと酒を飲んできた。

就職している奴もいれば、夢を追う奴もいて、ぼくのように大学に残っているのもいた。
就職した友人達は立派に見える。彼こそ希望と夢をもっているように思える。東芝だの、NTTだの、株、車、恋愛……。ぼくにはよくわからない世界だ。

ひとり脚本家志望の子がいて、今そういった養成所に通っているらしい。すばらしいことだと思う。彼はだれにでも礼儀正しく、如才なく世の中を渡っていける人なのでそういった道が向いているだろう。

ぼくが何か文筆で飯を食おうと企んでいることは話さなかった。しかし、彼らとぼくとではあまりに前途が違いすぎるので目眩がしそうだった。これはまじめに就職した友人との差だけではない。脚本家志望だってヤクザな商売だが、ぼくと歩む道ははっきりと違う。

彼は現実に立ち向かって、仲間を作って、その中でお互い刺激しあいながら成長している。彼はもういくらかテレビ局に脚本やアイデアを採用されることもあるという。売れないグラビアアイドル、お笑い芸人……そういった人びとと協力して作品を生みだそうとしているらしい。

もはや成果を出しているのだ。着実に山を登っているのだ。同じ夢を持つ人びとと、信頼と友情を持って……。



翻って、ぼくは何をしただろうか。「何かをした」と言えるだろうか。ぼくはただ痙攣しているだけの夢見がちな小動物ではないのか。賞にも出さず、ろくすっぽ書かず。

ひとつ、救いの道がある。
それは音楽という芸術である。そこにおいては、ぼくは自分のことを正しかったと言える。ぼくは教本もろくに読まず、ライブにも出ず、プロにも習わず、ただ楽器と長い間語らった。そのお陰である技能が身についた。それは「聴く」という能力である。

昨日、飲み会の前のあるライブを見に行った。そのライブでは、プロのくせにぼくよりヘタクソな「パフォーマー」を見た。楽器が歌うよりは悲鳴をあげているようでぼくは聴くに堪えなかった。そしてそういう人間に限って、拍手喝采を浴びるのだから!ぼくはそのような音と無縁でありたいと思う。

静かな孤独の中で「聴く」ことの能力を養ったように、ただ独り、自己を豊穣させながら良い作品を書きたいと思う。楽器はぼくに音楽の道を示してくれたが……。文筆においては、ただ自己ひとつしかない。

しかし、優れた耳を持つこと!良い作品を書くこと。このことに意味があるのだろうか。世間が求めているのは喜劇役者であり、テクニシャン:技術屋なのである。「まじめな芸術家」に今価値はあるのだろうか、という気がしなくもない。

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