8.24.2014

女がすべて離れていってしまった。

気づけば女というものと無縁な生活を送っている。

二人の肉体関係のあった女とは、「いつか飲もう」と言った切り終わった。たぶんその「いつか」は永遠にこないだろう。

ぼくを求めてきた女が一人いたが、二週間連絡を無視していたら、返事がこなくなった。

逆にぼくが関心があった女のひとりは、明らかにぼくから身を引こうとしている。もうひとりは、多少ぼくのことを好いているみたいだが……。けっこう、彼氏への愛情がしっかりしている女なのでデートすら無理だろう。

というわけで、セックスもなく、デートもなく……。孤独の道を歩んでいる。

恋愛経験はさほど豊富ではないがいくつか学んだことはある。女は常にドラマのなかにいたがるということ。女は一度幻滅した男には二度と振り返らないということ。

女のドラマ性について。これは女にモテる最重要要素である。
ソープオペラなんて言葉もあるが、女はドラマが大好きな生き物である。彼女たちが求めているのは、人間ではない。自分に愛情を注ぐ「登場人物」あるいは「舞台装置」である。ぼくたち男性がモテようと思うのなら、決して自己の内面を露呈してはならない。登場人物になりきることである。
恥ずかしいので詳細は書かないが「理想的草食系男子」になりきることによってぼくは成果を上げている。少しだけ。

生身の人間である以上演じきることは不可能であり、そのためぼくの恋愛のスパンは非常に短い。しかし、そうでなければこんな神経症の人間を愛する人はいないだろう。「本心を好いてくれる人間なんているわけがない」。そういうものだ。親でさえ、ぼくの本心を理解することは無理だろう。みな、美しいペルソナを愛し、そこに人間を認めたがらない。現代社会はそういったものだ。

女の幻滅について。男はすべて「引き際」を見極める能力に欠いている……。
女が連絡をよこさなくなったり、距離を置こうという態度が見えたら、もうその女のことは諦めるべきだ。文豪はよく「恋愛は短い痙攣だ」と言うが、そう、恋愛は短いものだ。一度幻滅させてしまったら大人しく身を引こう。もう全ては終わったことなのだ。

以上自戒を含めた恋愛論。いくら女にモテる方法を書いても彼女ひとりもいないぼくが何を言えよう。マレーシアに行ったときに現地で会った日本人に「女難の相があるね」と言われたのが引っかかっている。

すごく気持ち悪いことを言おう。ぼくはできる限り、セックスしたいと思う。もう少しやんわり言えば、放蕩したいと思う。
放蕩者の生活が聖者の生活へのいちばん近い道のひとつでありうる。(「知と愛」 / ヘッセ)
とね。肉体的欲求は正直、あまりない。ただ純粋なセックスを求めたいと思う。所有欲だとか、支配欲の絡んだセックスは最悪の類のものである。生の冒涜だ。全てから解放されたセックスをしたい。性欲のためだけの性交。食欲のためだけの食事と同様の、純粋な行為をぼくは求める。

ぼくは十分年を食った。年の功というか、二十歳の頃と違うことは、もはや集団や社会というものを振り返らなくなったということだ(だから上記のようなアホなこともマジメな顔で言える)。つまり自己がどんどんと膨張してきて、社会は片隅に追いやられている。この状態が実存だとか自己実現といったものだろうとぼくは思っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿