8.14.2014

Smells Like Teen Spirit

よい仕事をしようという、それだけだ。ぼくは本能で良い作品を生みだしてゆく。この感覚は、腐った卵を嗅ぎ分ける動物的な嗅覚に近い。

しかし今や高度に発展した文明社会ではそれだけではダメなようだ。プロデューシングだのプレゼンテーションだのコミュニケーションが要るのだ。

ぼくは音楽を続けているが、プロに師事したり、プロとして活動するために売り込みをしたりと、そういう経験がない。全部独学だ(教本は買う)。それに、ライブで演奏することなんて滅多にない。ひたすら孤独に楽器と向かっている。

ちょっと狂気じみてるし、全部間違っているんじゃないかと思うこともある。楽器とは本来他人に聞かせるものだ。自分ひとりで楽しむものではない。そして、上手くなるための基本は教わることだろう。

ぼくは自分への批判を怖れているのではないかと思う。心がかき乱されることが怖いのだ。毎日繰り返し、基礎練習はしているが……。基礎練習をしていれば、まず間違った練習ではないことは確かである。しかし、プロの演奏は基礎練習を聞かせるものではない。基礎練習を全て音楽に昇華させなければ価値はない。

果敢に音楽界に挑戦していった先輩や後輩は、セミプロとして活動していることもある。彼らは音楽界に認められたのだ。演奏によって報酬を得ている。ぼくはといえば、せいぜいたまのライブで褒められるくらい。そして、恥ずかしいのでそそくさと帰る。お耳汚ししました……と。

そこで自分を売り込むことなど考えられない。第一、人前でやった演奏はとんでもない失敗だらけなのである。ぼくはプレゼンのときなど、声が震えてしまうし、それを隠そうとしてひどい傲慢なしゃべり方をしたりする。
技巧的に未熟なのではない(と思う)。人前で何かをすることが絶望的に苦手なのだ。十年ほどこの臆病を克服しようと思ったが、無理だった。敵意をもった人がいるわけではないし、何も悪いことはしていないのだが……。視線や他者からの注意が怖いのかもしれない。しんと静まりかえってぼくに注意を向けている状態というのは、集団によるぼくへの暴力を連想させるのかもしれない。

毎日の反復、ぼくの精神はそれをひどく好む。一時期は毎朝六時に起きての読書を習慣としていた。また昼からの仮眠をだれに非難されようと強行した。「だって、ぼくには必要だから……」というわけだ。習慣への意志がぼくの行為を創り出している。

打ち滅ぼさねばならないものは、まさしく反復行為である。知性のみがそれに成功する。そして、批判精神。それ以外のものは奴隷状態をもたらす。(「文学の思い上がり」/ロジェ・カイヨワ)

まあカントが毎日同じ時刻に散歩したのと同じだ、と言うと耳障りはいいが……。

ぼくの行為は痙攣と変わらないのだろうか。勇猛果敢な意志を持って、カイヨワの言う「アゴン(競争)」の世界に飛びこんで切磋琢磨すること、これが必要なんだろうか。極個人的に味わう陶酔は悪なのだろうか……とときに悩む。

しかし、人と同じ性向だとか、「しなければならない」という強制や同調のささやきには乗らないことにしている。ぼくはぼくにできることをするだけだ。一見怠惰に見えても、遠回りしているように見えても、道は一本である。もがこう、進もうとする限りはぼくは正しいのだ。必要なことは、良い作品を嗅ぎ分けるのと同じ嗅覚で自分の道を探ることである。

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