9.10.2014

【報告】田舎に就職することがほぼ決定

そろそろ就職先を決めようかというところにきている。今考えているのはかなり田舎の就職先である。そこは条件がよく、休日は土日にきちんととれ、残業もほとんどない。金と余暇。これを重視したというわけだ。おまけに、仕事内容は少しだけ精神医学的な部分と関与する。だから楽しそうでもある。だがまあ、基本的にはルーチンでつまらない仕事だ。

地理的には温暖な太平洋側気候であり、日本有数の美しい海に面している。田舎なので山もあるし、キャンプ地には困らない。山海の幸に恵まれ、食品は非常に安く、そして美味いという。ただ、日本でもかなり田舎の部類に入る。東京へのアクセスは死ぬほど悪い。だがまあ、金を出せば一時間で羽田まで行ける。

そんな辺鄙なところではあるが、ぼく自身の生活を振り返ると東京にいる意味は薄いかもしれないと思うのだ。休日にすることと言えばこうしてパソコンに向かっているか、本を読むか、楽器を弾くか、バイクでそれこそ山や海に行くか、といった具合なので。外食もほとんどしない。ただ、たまに美術館へ行くので……それだけは惜しい。

芸術的にはどうなのかという場所である。音楽や芸術と離れたくはないが……。しかし、今でさえ音楽系のライブにはほとんどいかない。年に2,3度と言った具合である。ライブに出演するということもほとんどなくなった。まあ、月に一度都市部に行くくらいの余裕はあるだろうしそれはどうとでもなるだろう。

ひとつ気になっているのが、面接官が「文化レベルが合うかどうか……」と言っていたことだ。田舎のひとびとは芸術だとか文化的なことについて興味がないに違いない。田舎の人の興味は車、パチンコ、女程度だ。まあそんなものだろう。しかし、それが本当の生活ではないとだれが言い切ることができるだろうか。都市部で満員電車に揺られ、東京の文化と生活に誇りを持ち生き急ぐひとびとは正しいのだろうか。面接官曰く「都市部から来た人たちはみんな健康になる」とのこと。美味い飯と、豊かな自然、ゆっくり流れる時間。悪くない。
おそらく私たちは、本当の生活は都会のなかにあり、いま目にしているこのすべては単なる田舎の退屈な風景にすぎない、と思い込んでいたようである。おかしな話である。真理がやってきて扉を叩くと、「あっちへ行け、私は真理を求めているのだ」と人は言う。だから真理は立ち去ってしまう。不思議なことだ。(「禅とオートバイ修理技術」/ロバート・パーシグ)
田舎から出てきた教授は「そんなところ負け組が行くところだ」と言っていたが、どうだろうか。 確かにそうかもしれない?ぼくは世間的には負け組である。もともと、病人だから仕方ないさ。ペソアの言うこともわかるが……。
私は都会にいることを愛するために、田舎に行ってみたい。でもそうしないでも、私は都会が好きだ。だが、田舎に行けば、二倍も都会が好きになる(「不穏の書」)
ぼくは芸術的な感性というものはネットでも仕入れることができると僭越ながら思っている。というか、絶対に現代的な芸術のファクターは「ネット」であるとすら思っている。それはたぶんテレビでも本でも美術館でもないだろう。

そのネットのおかげで田舎でも生きていけるわけだ。およそ文化的なものは視覚と聴覚によって味わえる(音楽も絵画も直に体験するのがいちばんであることはわかるが)。そして、物流によって何でも「買う」ことはできる。何も丸井だとか、三越に行く必要もないのである。今だって服は全部海外サイトから買っているし、本はアマゾンが中心だ。生活に必要なものはネットとスーパーで買える。そしてスーパーくらい田舎にもある。

そんなわけで、ぼくは自然派の人間として生きていくことになりそうです。まあ、ポウもメルヴィルも文化的に壊滅的なド田舎で書いてたからあんな異質な本が書けたわけで。それはそれで良いのではないかと思う。

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