9.11.2014

分裂質の人が創造へ向かう理由

「実際には、われわれの身に起こる数々の書きものの中でも、その最も偉大なるものは、狂気を通じて生まれてくるのである。むろんその狂気とは、神から授かって与えられる狂気でなければならないけれども。」ソクラテス

今日もとりとめもなく書いてみよう。アンソニー・ストーの「創造のダイナミクス」が予想以上に良い本だった。非常に優れた本にもかかわらず、日本ではほとんど読まれていないようだ。

人はなぜ芸術を志すのか。天才的な芸術家は精神的な病人なのだろうか……。というアリストテレス以来言われてきた天才狂人説を子細に検討している。病的な精神をもっていて、最近芸術に目覚めた?ぼくはぜひともこの点を知りたいと思っていた。

今回はぼくのような人格、分裂質の人がなぜ創作へ向かうのかを書いてみたいと思う。

「分裂質」とは適当に引用してきたが以下のような人格である。
ぶんれつきしつ【分裂気質 schizothymia】

クレッチマーによる性格類型の一つ。彼は,精神分裂病から分裂病質schizoidと分裂気質への移行系列を提起したが,このうち正常な範囲のものを分裂気質と呼んだ。感受性には過敏(敏感)と鈍感(冷淡)の両極があり,人と交わる態度は自閉的である。精神的テンポはしばしば飛躍性と固着不変性との間を往来し,精神運動機能はしばしば刺激に不相応で,抑圧,麻痺,阻止,硬直などを示す。体型はやせ型と親和性を示す。具体的な人間像の代表としては,上品で感覚の繊細な人,孤独な理想家,冷たい支配者と利己的な人,無味乾燥または鈍感な人の四つのタイプをあげている。(出典:株式会社日立ソリューションズ・ビジネス)

分裂質の人が創作に向いている理由
以下は分裂質についての記述からの引用である。
第一に、創造活動の多くは孤独なものであるから、そういう仕事を選ぶということは、分裂病の人が他人との直接的関係という問題を避けて通れるということになる。
小説家や漫画家は極度に個人的な職業である。ひとと関わらず、外界と隔絶した空間で思うまま創作に打ちこむことができる。普通、分裂質のひとはコミュニケーションを楽しむことができない。健常なひとびとが他者との交流で得られる承認欲求や自己実現を、分裂質の人間は創作によって「間接的に」得ることができるのである。

第二に、創造活動は、分裂病の人が万能空想の少なくとも一部を存続させることを可能にする。

分裂気質の人間は幼児的な万能感を持っている。分裂症者は、理由もなく自分を卑下する一方で、自分が特異な存在であり、またある種の才能に優れていると信じ込んでいる。その無能感も万能感も、病的なレベルであるし、特に万能感は社会との葛藤を生みやすい。創作の中であれば、例えば「男らしくない」ことを気に病む作家がハードボイルドな主人公を生みだすなどすることで、そうした万能感を維持することができる。

第三に、創造活動は、分裂病の人にとっては、その人自身の価値の図式を反映するものである。すでにみたとおり、その図式においては、外界よりも内的世界がより重要視されるというのが特徴になっている。
分裂質の人間は集団とのコミュニケーションにおいて自己を充足することができなかった人間であり、孤独であった。そのため代償的に内面世界を築き上げる。多くのひとびとが内面世界と向き合うことをせず、また必要性を感じてこなかったのに対し、分裂質の人間は富に内面世界に沈潜してきたのである。そのため分裂質の人間は、内界の価値を世間に認めさせたいという欲求を持つ。そうした内界の描写に音楽や、小説や絵画といった創造活動は向いている。
第四に、ある種の創造力は、カフカにみてとれる恣意的な予測不可能性の感じを征服するのにとくに向いている。
これまで予想できないと思われていた世界に自分自身の秩序を付与できるとはなんとすばらしいことだろう。
分裂質の人間は自己防衛的に秩序を求める。たとえば神経質な子ども達がベッドサイドの人形たちを整列させるような「儀式」をすることで、子どもは安心して眠ることができる。この秩序への欲求が病的に強いのが分裂病の人間で、例えば彼らは異性との恋愛において相手に自分の理想像を押しつける。異性が少しでも裏切りを見せると、彼は「秩序を乱された」と感じ憤慨する。
創作においては、まさしく世界を「創り上げる」ことができる。そのため分裂質の作家は秩序的な世界を生みだすことが多い。

第五に、創造活動が、世界に意味を乱せない分裂病の人を脅かす怖れに対する防衛として作用できることは明白である。…… 対人関係に失望した多くの芸術家、それに多くの科学者が、より平凡な人びとが人間関係に見出す意味や価値を、その仕事に見出していることは疑いない。
創作はまず防衛的行為ということができるだろう。友人や家族から愛情を受け、また与えるといった自己充足の行為に失敗した分裂質の人間にとって、人生は恐ろしく空虚なものになる。その空虚さ、意味の欠乏こそ神経症や分裂病を生むのだ。そこで、彼らは世界に「意味」を与えるために創作に打ちこむ。「(分裂性格では)、愛することも愛されることも、危険と不安を孕んでいるように思えるのである。その結果、こういう人は、聖人になっても、感情的交誼を回避しがちになる。しかしながら、人生に意味を与えるのは感情的交誼なのであるから、人生自体が無意味に思える危険がつねに存在することになる。」

以上のような理由から、ストーは分裂質の人間が創造へ向かうとした。どうも代償的に、しぶしぶ芸術に向かっているという印象である。が、まあそんなものなのかもしれない。


ショーペンハウエルの説によれば、詩人と、哲学者と、天才とは、孤独であるように、宿命づけられて居るのであって、且つそれ故にこそ、彼等が人間中での貴族であり、最高の種類に属するのだそうである……つまりよく考えて見れば、僕も決して交際嫌いというわけではない。ただ多くの一般の人々は、僕の変人である性格を理解してくれないので、こちらで自分を仮装したり、警戒したり、絶えず神経を使ったりして、社交そのものが煩わしく、窮屈に感じられるからである。僕は好んで洞窟に棲んでるのではない。むしろ孤独を強いられて居るのである(萩原翔太郎)


ところで、天才は狂人なのだろうか?よく言われるように芸術家は神経症的、抑鬱的なのだろうか。ゴッホは耳をそぎ落とし、ニーチェやニジンスキーは発狂した。しかし、ストーは必ずしもそうではないと言う。天才が鋭敏な神経を持ち、深く内的世界に熟達していることは事実である。普通、神経症者はこの内的世界に没頭してしまったり、あるいは外的世界とのギャップに適合できず、精神病を発症する。ところが天才の場合は、強靱な知性と能力によってこのギャップを乗りこえるのである。

この点についてはまた後日……。

0 件のコメント:

コメントを投稿