9.26.2014

できるならニートがいいけど

金を稼ぐことだ。人に尽くすことだ。

ぼくの精神に欠如したものを取り戻さねばならない。それは人間性、社会性、義務の精神だ。人間はひとりで生きているわけではない。理不尽なことにも耐えなければならない。社会に溶け込む努力をしなければならない。仮借ない現実に向かって、生活に向かって立ち向かわなければならない。最低限、大人になったのだから経済的に自立しなければならないし、そこから見えてくるものもあるだろう。

ぼくはどんどんと悪い世界に行く、自分の行きたくない道へ行こうとしている。しかし、そうでない人間などあるのか。それが人間の本当の生活ではないのか。戦時中の若者の手記を読んで何を思ったか。人間の崇高さは生活や環境とは別のところにある、ということだ。むしろ仮借ない生活の抵抗があってこそ生がきらめくこともある。抑圧的な環境が才能を花開かせるということもある。運命に対して無条件になることだ。閉じこもるのではなく、自己を開いていくことだ。

人生には本当にいろいろなことがあるが、自分だけしたいことをするというわけにはいかない。そんな人生は作られたもの、提供されたものであって自然ではない。この世のほとんどの人間は、与えられた運命を全うしている。一部の天才か、狂人を除けば、すべての人間は生活のささやかな喜びに慰めを得て、二本の足で立っているのだ。それが本当の強さだろう。ぼくはなんて甘えているのか。「働きたくない」「自由でありたい」?ぴよぴよひよこちゃんだ。自由はつかみ取るものであって逃げた先にあるものではない。

社会的に優れた人間であること。義務を全うし、後ろ指を指されぬ人間になること。これをひとつ経験してみるのも悪くない。

金は、しっかり稼いでやろう。そこからだ。ぼくは残念ながら金で満足できない人間である。しかし人間何をするにも金は必要なのだから……。金を得て、それからの目標を見据えよう。

金が入ったら、新宿で必死にはたらいて生活しているある女の子を支援したいと思う。彼女はぼくより聡明であり、勇気を持っているから……。金を受け取る権利がある。ぼくは恵まれている。親が金を持っていたから大学に行かせてもらって、割のいい職を得ようとしている。彼女は大学も出ていない。自分の金で家賃を払い、生活費を稼いでいる。助けてやることだ。ぼくにできることと言えば、それくらいだ。しかし、それはエゴではないだろうか?彼女の自立した精神を阻害することになりはしないだろうか。金を与えるということにも責任はある。

ともかく、金の使い道を考えることは楽しいことだ。ぼくは絶対に金を浪費させることはないだろう。贅沢に興味はない。かといって、貯蓄に励むこともないだろう。世間的にみれば無駄なこと、もったいないことに費やすだろう。他人の助けに金を投じるだろう。旅に出るために金を使うだろう。

ぼくは来年から働くことになる。それを考えると、薄ら寒い気がしてくる。しかし、だれしもが食い扶持を得るために働いているのだ。甘えていてはいけない。

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