9.30.2014

日本の労働環境について

久しぶりに会う知人の女が「聞いたよ!鉄!」と言ってきた。田舎に就職することを聞きつけたのだという。ぼくが海の近くの街ではたらきたいのだ、というと驚いていた。そんなことで仕事を選ぶな、と。

ぼくは自分が働く、というイメージが沸かない。バイトはいくらかしてきたが、働いて楽しいという感情はほとんどなかった。バイトで友達を作ったり、仲間と協力して目標に邁進するというような楽しみ方をぼくは知らなかった。ぼくは時間と労働を提供し、店側はぼくに金銭を提供し……というだけの間柄。だから義理でシフトを融通させる必要も感じず、自主的に積極的にはたらこうともせず、勤務時間中もサボれる限りはサボった。仕事後の飲み会や食事には誘われなかったし、誘われても全て拒否した。第一、父親が自由業でありサラリーマンでも何でもない。親父を見ても社会の掟などまるでわからない。

そういうわけで、ぼくは余暇に生きようというのだ。一日8時間は労働のルーチンに沈めよう。それはけっして空虚な時間ではない。ぼくのような不感症でも、自分が社会の役に立っているという意識がなければ潰れてしまう。それに、8時間程度は慌ただしく働くのでなければ一日は耐えようのない重さを持つだろう。問題は、余暇だ。ぼくには本を読んで研究する時間と、楽器を練習する時間が必要だ。だから落ち着いた環境が必要だし、定時であがれることが必要だ。あとはそこそこの金。

日本社会の労働は異常である。ぼくのように社会に疎い人間から見ても、日本人の労働環境は狂気じみている。まず、通勤に平均して一時間かかるというのがおかしい。片道一時間なので、一日二時間。おまけに人口過密の満員電車に揺られるのだから、精神的にも肉体的にも負担は大きい。

あるアメリカの心理学者によると、片道一時間の通勤時間のサラリーマンと、同じ会社に徒歩で通うサラリーマンがあるとすると、彼らの満足度を均等にするには、片道一時間のサラリーマンに四割増しの給料を与えなければならないのだという。これはつまり、徒歩圏内のしょぼいアパートではなく、遠方のマンションや一戸建てを選ぼうという場合に四割分の給与を捨てることを覚悟せよ、ということである。通勤に一時間かけている人びとは大変な損失をしていることに気づかねばならない。

第二に、労働時間がおかしい。日本人は働き過ぎである。おそらく先進国中で世界一はたらいているのではないか?残業は平均して40時間ほどあるらしい(これは一部上場の大企業の平均である)。これを日に直すと、一日10時間労働ということになる。

そして、ここに統計にあらわれないサービス残業が加わる。現代日本において、労働者の実に半分が「残業代を全て貰えていない」のだという。さすがに一切出ないという例は少ないが、「残業代が半分しかでない」「所定時間以上は出ない」というような、企業のマイルールによって残業代が制限されるという不思議な事例がある。さすがにサービス残業を強制する大企業は少ないが、中小企業では公然と残業代未払いをしているようだ。

一日10時間働いて……一日の2時間を通勤にかける。7時間寝るとすると……残りは5時間?5時間のフリータイム?ちゃんちゃらおかしいよ、というわけだ。

ぼくは田舎勤務で、残業はないし(本当かはわからないが、労働条件にはそうある)、たぶん一軒家を借りるだろう(きれいな二階建ての一軒家が月7万円で借りられる!駐車場二台付きだ)。それに、通勤時間はおよそ15分程度だ。

ぼくの選択は間違っているのだろうか。企業ブランド、社会を動かしているという実感、エリートたちとの交遊、都会的な楽しみ、ぼくはそれらを全て捨て去って余暇を求めた。もちろん都市部でも定時上がりのホワイト企業はあるし、住宅手当が十万円出るから徒歩圏内のマンションが借りられる、という人もあるだろう。が、ぼくはそういったとこは落ちてしまったので、これは妥協なのだが。

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