9.30.2014

なぜぼくは断食をしたのか

クレッチマーの体型分類というものがある。端的に言えば、デブは明るく社交的で、ガリは神経質で内向的という体型と性格の関係である。

この体型分類はやはり当たっているのではないかと思う。デブは当然たくさん食べ、ガリはあまり食べないのだが、おそらく食べるという行為と、人との交流の仕方には密接な関連があるだろう。

人の本性が出るときは、どんなときだろうか。それは強いストレスに晒されたときだ。ひとは切羽詰まると、社会的役割やペルソナ的人格を維持できなくなる。傍から見るとそういった状態は幼児的だったり、人格破綻に見えるものだが。とにかく人格は普段通りの精神の均衡を得られるまで仮面を外し本性を現す。

で、ぼくはここ数日、憂鬱な状態に置かれていたわけだが、そこで何かしらのアクションをしようというときにまずした行為は「断食」だったわけだ。つまり食べる、摂取することを拒絶した。断食というと主体的に行っているようだし、事実主体的に行っているように日記を書いたが、この拒食が強いストレスからの逃避や回復の目的で行われたことは今となると正しいと感じる。ちなみにぼくの体型はたまに健康診断で「ちゃんと食べましょう」と注意されるくらい痩せている。

人はだれしもがストレスを感じると拒食に至るわけではない。たぶん、「たくさん食べてストレス解消」という人の方が多いのではないかと思う。特に女性はほとんどがそうだろうし、それと同じように、外向的な人間であれば、ケーキやラーメン二郎を食べることによって精神的危機からの脱出を図るだろう。

これは人間関係についても同様だ。例えば何かしらの対人的なトラブルがあったときに、内向的なタイプは「しばらく一人にしてくれ」と言うだろう。もしかしたら、一人旅に出てしまうかもしれない。外界を遮断し、自閉的に閉じこもるのである。一方、外向的な人間は、家族や友人に親身に相談に乗ってもらい、慰めを得ることができるだろう。

食に関する行動様式と、対人的な行動様式は同様の傾向があるということだ。おもしろいなあとしみじみ感じた。おそらく仕事についても、前者は散漫で効率的であり、後者は融通が利かず、慎重にこなすだろう。

内向と外向の違いは、母親の愛情が関与すると言われている。外向的人間が他者を求めるのは、母親から十分な愛情を受けていたからで、彼は生涯他者に対して信頼を置き続けるというわけだ。内向的人間の場合、母親から十分な愛情を受けられず、人間不信に陥る。どちらが良いという話ではないが、後者は全般的に不幸であると思う。マア、幸福だけが人生ではないのだ。ちなみに前者は鬱病になりやすく、後者は神経症か分裂病になりやすい傾向がある。

内向的性質、外向的性質は遺伝的あるいは先天的に決まっているのだ、という説もある。ぼく個人としては、遺伝と環境、両方の影響があるものとしたい。当然、人間の身体は遺伝によって形作られるのだし、そうなら精神だって遺伝するに違いない。しかし環境によって人の身体は変化するし、精神もまたそうだろう。

ぼくが断食を好むというひとつの事柄についても、こうした理由があるわけだな。ぼくという人格を最近は多少客観視できるようになった。ニューロティックであることは、必ずしも悪いことではない。自分を知り、自分に向いたことをすることが幸せだろう。

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