9.13.2014

凡庸な狂人

どうしようもない湿気と酒を飲んだあとの気持ち悪さ。自律神経のちょっとした異常、発汗、だるさ、吐き気、頭痛に悩まされている。

昨日書いたことはよく覚えていないのだが、読み返してみるとなかなか的を射ているじゃないか。ぼくはただ対人関係に悩まされているのだ。思い返すと小学三年生の頃、ぼくは学校からの帰り道で延々唱えていた。「人間関係を良くしてください」と、何度も、何度も、唱えれば神様が聞き届けてくれるような気がして繰り返し唱えていた。

あの頃からぼくは孤立していたのだ。あの狭いクラスの中で孤立していた。いじめを受けていたとか、友達がいなかったというわけではない。ただ人間関係の些細なことにぼくは深く傷ついていたのだ。その理由ははっきりとはわからない。しかしたぶん、ぼくには親の愛情が欠如していたのではないかと思う。あるいは、親にひどい裏切り行為を受けたのだろうか。おそらく先天的に神経が鋭敏であることと、親の裏切り、それがあってぼくの人格はこんなものになってしまったということだ。

孤独な人生の先には何があるのかわからないが、弛緩というよりは緊張の世界があることはわかる。恐らく、孤独に生きる人間は賢く強いだろう。例えば筋肉は筋繊維が切れなければ発達しない。運動による負荷がなければなよなよ、ぶよぶよした腕になるだろう。精神においても同じことで、苦痛、ひたすら苦痛を受け入れれば強い精神になる。

肉体美を追求するマッチョな人間にとって、なよなよ痩せた人間やぶよぶよ太った人間が我慢ならないように、孤独者が大衆を嫌悪するのも正当な理由あることなのである。おそらくぼくらが片腕を失った人間や失明した人間に、いくらかの畏怖を覚えるのはそういうことだろう。

問題は、その孤独への性向自体が錯誤であるかもしれないということだ。孤立することに理由はあるのだろうか?一体、母親というひとりの人間が彼を裏切ったからといって彼は全人類を恨む必要はあるのだろうか。フロイト心理学でいえば、「然り」ということになる。小さく弱く脆い存在だった彼にとってただ母親だけが世界だからだ。母親の裏切りは世界の裏切りなのである。

全世界に裏切られるということ!認識の全てが裏切りであるということ!成熟した精神を持つ大人にとって、裏切りは一部のことである。恋人が裏切った?会社に裏切られた?それでも、世界の全てが彼を否定したわけではない。しかし幼児にとっては……恐らくそれ以上、はるかにそれ以上の恐怖、絶望が彼を支配したことだろう。だから彼はそのトラウマを一生引きずって生きていくのである。十字架を背負って生きていくのである。なんとまあ哀れで不幸な人間か。

不幸な人間、小さな傷ついた人間はどう生きればよいのだろう。天才たちのいずれもが精神病の素因を持っていたことを考えると興味深い。たぶん、アリストテレスが狂気と天才は紙一重と言ったことはある程度正しいだろう。ある程度、というのは、本当に優れた天才は狂気を克服する術を知っているからである。その点ニジンスキーやゴッホは「二流」だったと言わざるをえない。

アインシュタインは誰もが認める天才だが、社交に興じ、豊かな人間関係を築く精神を持っていた。おそらく物理学の秩序が彼をまともにしたのだろう。彼の尋常ならざる知性が彼を狂気から引き離した。例えばエーリッヒ・ヘラ―がカフカを分析したときの言葉はこれと一致する。
もちろん、(カフカのそれは)狂気に近い精神状態である。書斎机、解体する危険をはらむ精神をひとまとめにして維持することができる想像力、完全無欠の知性、この三つがかろうじて彼を狂気から引き離す。
知性とはまず第一に反動的なものであると思う。ひとは過酷な状況に置かれると知性をはたらかせる。混沌とした環境や状況を秩序あるものにするということ、これがまず知性のはたらきである。知性は秩序を志向する。

天才が科学や芸術に没頭するのはそれが好きだとか、愛しているからではない。それがないと精神が瓦解してしまうのである。おそらく彼にとって世界はあまりに混沌としていて、容易に彼を傷つけ、裏切るものである。だから彼らは秩序の世界に逃げ込む。そこで真理を見つけようともくろむ。なぜなら真理は、その定義上、彼を絶対に裏切ることはないし、究極の秩序だからである。

さて、ぼくも何かしらの創作行為をしなくてはならない。もちろんこの書き物が精神衛生に役立っていることは確かだ。しかし、もっとでかいことをやらかしたいと思うのである。芸術とはまず行為である。おそらく行為だけがぼくの精神に治癒をもたらすだろう。

ぼくは精神を瓦解させる、凡庸な狂人であってはならない。「凡庸な狂人」というと逆説的だが、おそらく1万人いれば500人は凡庸な狂人であり、そのなかのただひとりが天才なのだろう。狂気の海の中にあって、ただひとり輝く人間。そこに達しなければならない、とぼくは思っている。おそらくぼくは健常者になれないだろう。そうであればそこを目指すしかないのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿