9.24.2014

趣味について。

最近またプール通いをしている。

泳ぐという行為に無性に惹かれる。というのも、水泳は水と肉体だけの単純な世界である。そこには他者は介在せず、人為的な何者も存在せず、一個の秩序がある。

水はそれ自身で自然を提供してくれる。水に浸かるという非日常的な行為がゴミゴミとした現代の喧噪からぼくを引き離しているというわけだ。たぶん金持ちが水泳を好むのはこういう理由ではないかと考えたりする。

水泳していて思ったのはもうこりゃ一生モンの趣味だな、ということであって、一生続けたい趣味がまた一個増えたことになる。ひとつは読書であり、ひとつは楽器であり、そして水泳だ。もうこの3つは三大栄養素の如く、ぼくの生活を構成する三大趣味である。もうひとつ、バイクを加えてもいい。ぼくが人生に少しばかり感謝するとすればこうしたすばらしい趣味に巡り会えたことである。

ところでいずれの趣味にも共通することなのだが、もはや上達とか、そういうことを考えなくなってしまった。上手くやろうという気がない。ただ自然に、自分が好むままに、行為の中に沈湎している。自己に対する否定も肯定もない。もちろん、技巧的に稚拙にやっていてはつまらないので、自然と上手くやるよう身体がはたらくのだが、以前のようにがむしゃらに技術を鍛錬するということはなくなったのである。

例えばぼくより速くコーナーを曲がれるバイク乗りは山ほどいるし、ぼくを楽々と抜いていくスイマーもいる。ぼくよりたくさん本を読む人はざらにいて、ぼくより上手く楽器を演奏する人も然り。でも、ぼくは彼らに嫉妬するということはなくなった。彼らを見て俺もがんばろうという気がなくなった。

この感情は何だろうか。ぼくも落ち着いたということだろうか。バイクが、本が、楽器が、水が与えてくれる世界を無条件に受け入れるということ。結局いずれの趣味も孤独を要求するものだ。ぼくは趣味に対し、他者の不在性を求めているようだ。

一生バイクに乗っていたいと思うし、他の趣味も続けたいとぼくは思っている。しかしそのいずれも、生活とは乖離している。ということはつまり人生に肉薄していないのだ。軽薄で、無責任で、つまらない慰めでしかない。自慰的な趣味であるということだ。これが正しいのか?恐らく正しくないだろう。もっと葛藤と、努力が必要なのだ。そうは思っていても……。

なんだか最近は無為に日常を過ごすだけだ。生きているという実感が沸かない。また嫌な倦怠の時期がきたのかもしれない。

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