9.06.2014

軽さについて

ひどい天気だ。

昨日からキャンプに行っていた。キャンプと言えばかっこいいが、要は野宿だ。バイクにテントを積んで……という。相変わらず解放感がすばらしい。九月の月はきれいだった。

東京に帰ると学校へ行き、しばし読書した。飽きてきたので、部室に行って友人とセッションした。フルトヴェングラーは「すべて『即興曲をつくる』ということが本当にいっさいの真の音楽活動の根本形式である」と言ったが、その通りだと思う。ジャズはいい。何がいいって、まず演奏家にとっての救いであることが。アポロ的というよりは過剰にディオニソス的なところが。

そうして、友人と別れたら読書の続き。そういう一日であった。今日は一日、幸福に過ごした。人生の転機とも言うべきイベントもあった。おかげで、ぼくは至って現代的な人間になれたという実感がある。

ぼくはあまりに病的だった。これまであまりに暗すぎたのではないかと思う。病苦と狂気の災禍で喘いでいたのがぼくだ。ぼくは、もう少し軽さの味を知るべきだ。そうして幸福と満足の味も知るべきだろう。

ぼくはあまりに人生を重く捉えすぎたのだ。昨日言ったように……確かにぼくらは死ぬ。これは途方もない事実だ。死ぬ?死ぬということはどういうことだ。死なない方法はないのか。なぜ死ななくてはならないのか……。人は考えて、やめて、また考える。

確かに、その事実はとんでもない質量を持つが、人間はそれの持つ引力を「知り」つつも、遠く飛翔することができるはずだ。

能動的であること!主体的であること!これらがおそらく幸福の秘訣だ。ありきたりな悲観論運命論なんて退けてしまえ。というのが今のぼくの感想だ。

また、どうでもいいことを書いた。何か質量のあることを書きたい。ぼくは生を燃焼させたいのだ。

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