9.21.2014

金や権力の虚妄

今日は一日バイクに乗っていた。昼には帰ろうと思っていたが……寄り道をたくさんしてやった。家に帰りたくない気分だったのだ。

ぼくのバイクは200ccしかないチンケなバイクなのだが、不思議としっくりくるので長く乗っている。1100ccのバイクにも乗ったことはあるが、どうにも手に余る。重すぎるし、過激すぎる。メンテもしづらい。

200ccのバイクでポコポコとかわいい排気音を奏でながら走っていると、風景と風とエンジンとが調和してなんか悟りみたいなものが見えてくる気がする。どんな大型バイクよりも200ccのバイクの方が良いということもありうるのだ。

ところで、バイクで走りながらいろいろなことを考えた。

もしも、だ。もしも、すばらしい高級料理よりも白ご飯のおにぎりの方が好きという人間がいたらどうか(某芸術家を思い出すが)。高級ワインよりも、単なる水の方が好きという人がいたらどうか。世界遺産の絶景よりも道ばたの草花を愛でる人がいたらどうか。

そういう人は、どうやって生きていけば良いのだろう?とぼくは考える。たぶんそういう人の方が、生きることはずっと困難ではないかと思うのだ。

普通の人のように、自炊するよりはフランス料理が食べたいし、山梨県に住むよりは港区に住みたいし、平社員であるよりは社長でありたいというのであれば話は簡単である。大部分の人がそう思っているのだから、道は踏みならされている。ビジネス書でも買って、自己啓発セミナーに行けば良い。そしてバリバリ働けばよい。迷いなく、狂いなく、黙々と。そうこうしているうちにお迎えがくるだろう。それがきっと幸福な人生だ。

そうではなくて、おにぎりや水で満足してしまう人は?もはや何も必要としない人は?世間が用意してくれる、高級マンションだとか、高級車のような一生を捧げてようやく得られるような目標をもたない人は?高級車の魅力も、マンションの魅力も、幻影でしかないことを知ってしまった人はどう生きるのか?

金や権力の虚妄に気づいてしまう人がいる。金や権力というものは、一見すばらしいものだが、空虚である。というのも、それらへの志向は社会安定のための用意された目標だからである。市民が「もっと金を!」と願わなければ経済なんて動きっこないのだ。市民が「水とおにぎりあればいいやん」と思ったら、国は栄えないだろう。

ぼくは今、その段階にいる。金や権力にはもはや魅力を感じない。それは人生の目標とするにはあまりに脆弱だからだ。何かこう、打ちこんで、全力を捧げるべき物事があるはずだ。一個の人間として為すべき仕事があるはずだ。

その仕事は、何だろうか?何だろうか。

難しいなあ。

0 件のコメント:

コメントを投稿