9.08.2014

射精後の倦怠に包まれて

おはようございます。ひどい倦怠に打ちひしがれている。その原因のひとつに生活の変化があった。日常のルーチンが大きく変わったのだ。もうひとつに、季節の変化がある。夏は終わり秋が来ようとしている。

人体はどうやら毎年の季節の到来をそのつど新しく受け入れているらしい。暑くなったり寒くなると、人体が適応しようとがんばるためじわじわ負荷がかかる。だから季節の変わり目は鬱や自殺が多い。

まあ、どうでもいいさ。ぼくの初々しい新鮮さや、盲目的な信望、情熱といった類のものは死のうとしている。いよいよ不感症になってきたというわけだ。

ぼくの友人は、ある目標のために「一日十時間努力する」と言っている。すばらしいことだと思うが、邪推なぼくはどこからその意志が、エネルギーが沸くのかと訝らざるをえない。

人間の偉業はすべて病的だ。エベレスト登頂も、世界一巨大なパイも同じことだ。端から見れば「なぜそんなことを?」と思う類のものだ。別に、人間そんなことしなくても生きていける。見てみろよ。大したことない奴だって、飯は食うし女は抱いている。それなりに社会で成功してるんだ。なぜ、そんな険しい道を行く?

君は自己実現しようとがんばっているけど……それは世の中に対する復讐なのではないか。君は集団から阻害され、女に見向きもされなかった。だから偉くなって見返してやりたい、というわけだ。神経症者は意外と成功者が多い。しかし、心理学者の驚くことに、その成功は幸福とは関係ない。迷妄は迷妄のままってことだ。

君は童貞なんじゃないか?その時間でバイトして、ソープにでもいけよ。きっと見方が変わるさ。

ああ、クズ野郎。


ぼくは思うのだが、あらゆる若き芸術家に対し自由にできる女をひとりあてがったらきっと彼の芸術的感性は瓦解すると思う。頽廃的なフリーセックスを描いたのはハクスレーの「すばらしき世界」だが、そうした市民は見事に畜群家していた。

どうやら性的満足はわれわれを幸福にする代わりに何か大事な神性を奪うものだと思う。我々はオルガスムスと共に地に足をつける。幸福で勤勉な、物資を消費する市民となるのだ。その証拠に大体の人間が、婚姻と共に夢を追うことを諦めて堡塁を築き始める。これはホルモンのせいだろうね。

例えば男性は射精後急に冷静になるが、それと同じように継続的射精は男性をマイホームへと駆り立てるのではないか。これはおもしろい仮説だ。ぼくらは所詮、動物だ。デミアンは言った。「つまりね、人間に自由意志なんてないんだよ」。


話を戻そう。天才は病人である。フランスの大作家シムノンは言った。「著述業は職業ではなく、不幸な天職である。芸術家はけして幸福にはなりえないと思う」。

ところが、最近はぼくの病は治りつつあるのではないかと思う。神経症ではなくて、もうひとつの病気の方だ。こちらが治りつつあるので、ぼくはかえってアパシーに悩まされている。


現在のぼくの最大の疑問。

ぼくは芸術に駆り立てられているが、それは欲求不満による「昇華」なのか?
ぼくは芸術的才能に優れているわけではなく、病気だから芸術を志向するのか?(つまり、才能と病気は別なのか?)

まあ似たような二つだ。この二つの疑問を解決してくれそうな本が手元にある。「創造のダイナミクス」という心理学者アンソニー・ストーの本だ。まあ、いつになったら読み切るか?もうアパシーが読書の習慣も奪おうとしている。早く季節と環境に順応してくれよ、俺の身体。



昔から心理学は好きだった……。人間の関心が持てることと言ったらおよそ自分のことだけだからだ。遠くアフリカの難民に寄付する人は偉大に思われる。そんなに遠くまで届く人類愛はそうはないからだ。しかしそういう人であっても、新宿駅のホームレスには見向きもしないものだ。結局、人間自分のことしか関心がないということ……。さて、学校へ……。

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