9.25.2014

憂鬱との付き合い方

めんどくさい神経を持ったもので……。

今日一日沈鬱としていた。何がいけないのかわからない。ぼくは、自分の何に不満で何に迷っているのだろうか。なぜぼくはここまで憂鬱でならなければならないのか。四肢は重いし、頭はしびれたようにはたらかず、動きは緩慢で、のろのろと歩くしかない。視界は色彩を失い、対象は意味を失い、意識が閉じこもっていく。

ひたすらに憂鬱と戦う。風邪を引いたようなもんだ。対処法はある。しかし何度直面しても、この憂鬱には慣れない。最近は断酒しているので、酒で解決することはできない。本当は、睡眠薬を飲めれば一番良いのだが。あらゆる憂鬱は睡眠が改善してくれるのだから。ハルシオンは特にいい。抗不安作用もある。ぴんと立った神経をなだめてくれるし、いささか強引ではあるが眠りに意識を沈めてくれる。10時間も眠れば大抵の憂鬱は改善するものだ。

しかし、最近の心療内科は大繁盛しているようで……。予約が二週間先ということもザラなのだ。必要な薬が手元にない。他の病院へ行くにも、紹介状がないと受け付けてくれない。八方ふさがりだ。ハルシオンは最大処方の28日分を貰っている。これをもったいないので、半錠ずつちまちまと服用する。何、「飲んだ」という事実だけでもほっと安心して眠れるものだ。それが、いつのまにか切らしてしまったようだ。

ぼくらが精神衛生を考えるとなると……突然ひどい憂鬱にかられるとなると……合法の範疇では、本当に脆弱なものしかない。ショックアブゾーバーは酒か、煙草か。あるいはセントジョーンズワートのような精神作用を持つサプリメントか。

ぼくの場合は、しょうがないので、コンビニでココアとチョコレートを買ってきた。本当であれば、友人に悩みを打ち明けるというのがいちばん自然でいいのだろうけど。ぼくにそんな友達はなし。ぼくはひとりで憂鬱と戦うしかない。


ところで、就職は明日決定させる予定である。さんざん引き延ばしてきたが、もう就活は終わりにしてやる。

ぼくが就職に対して曖昧な態度をとってきたのは、何も勤務先が田舎だからとかいうわけではない。ぼくは長らくそういうふうに誤解してきた。でも、本当は「働く」ということ、「学生」という身分から「労働者」という身分に移ることが嫌だったんだと思う。学生という立場はまだ自由で、未分化な卵のようなところがある。才能を開花させるのも人次第……。しかし、職場では卵であることは許されない。成熟した人間であることを要求される。ある程度、円滑な歯車であることを要求される。

ぼくはまったく社会性については未熟で、おまけにエゴが強い。だからたぶん上手くやっていけないだろうことを始めから知ってしまっている。神経症というネックもある。だから、ぼくのような人間はひっそりと死んでいくのが好ましいのだろう。あるいはだれの迷惑にもならないところで……地下牢のようなところで……手記でも綴っていればいいというのが本当なのだろう。

ぼくにとって労働は本来的な行為ではないのである。賃金に値するはたらきができる自信がない。しかしそんなことも言ってられまい。ぼくは昔このブログで、卒業したら就職なんかせずに「世界旅行に行きたい」と言った。それ自体はすばらしい考えだと思うが、そのために何をした?金はない。英語力もガタ落ちしている。モラトリアム少年は何だって言えるさ。でも、もう二十五歳なんだから、夢みがちな少年ではいられないのだ。

まあ、何でもいいさ。少し気が晴れた。


混沌がぼくを飲み込む前にすべきこと。ゆっくり風呂に入ること。ヘッセを読むこと。映画を観ること。眠くなったら、ベッドに入って、スマホを握らずに目を閉じること。今できる最良の処方箋だ。

ああ、ハルシオンが恋しい。

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