9.09.2014

ぼくは創作に向いた人間である宣言

まあ、何でも書いてやろう。

ぼくは自分のことを弱い人間だと思っているが、それはたぶん病的な考え方なのだろう。例えばだれかと話している間にも、「自分は相手にとって取るに足らない人間なのではないか」と常に怖れている。なにげない日常会話でも、話している内容はすべて本心から話したいことではない。相手に気に入られるための計算尽くの内容である。

相手もそれを知っているから、ぼくは決して心を開かず、「慇懃無礼」な人間だと思われる。ぼくはそこにいない人間のように扱われる。そうして、ぼくよりもはるかに気を遣わずあけすけに話す友人の方が、だれにでも好かれている。

ぼくは他者を怖れている。こうした他者に対する恐怖や不信はぼくの人格の重要な要素だ。どうしてこうなったのか? 原因はよくわからない。普通、心理学では、神経症の原因は幼少期の親の愛情の欠如が原因と言われるけど、少なくとも記憶の限りそんなことはなかった。両親はぼくを溺愛していた。その過剰な愛情が良くなかったのかもしれないが。

ぼくは自分のことを弱者であり不具だと思う一方で、超人的な才能があると空想している。幼児的万能感、ナルシシズム。これも「自分がダメ人間だ」と思うのと同じくらい病的な考え方だろう。

臆面もなく過去に書いたことを引用してやる。
芸術はぼくに奉仕する。芸術は永遠に奴隷であって、主人ではない。ぼくの精神が芸術を創ることを意志する。高みに昇った精神は、ただ光を発することを望む。光は遠く裾野を照らすかもしれないが、それはぼくの知ったことではない。(8/4

ぼくのようなダメ人間が周りを見下すのはどうしたことなのだろうか?ぼくは内面世界のすばらしさを知っているが……。本当のところ、内面世界なんて健康な人間には不要なのである。ドビュッシーなんて一度も聞いたことなくても、AKBで楽しめるじゃない。ジャック・デリダなんて読まなくても村上春樹でいいじゃない……。じゃない。

そういうことだ。ぼくはただの、対人恐怖症なのである。そう、人間が怖い臆病者だ。だから人から逃げて逃げて、孤独になった。それでも肌寒いのは嫌だ。愛情や承認が欲しくて、着々と内面世界を築き上げた……とこういうわけだ。ぼくが楽しい会話に入らず、テレビのエンターテイメント番組も黙殺し、淡々と哲学書を読むのもこういったわけだ。

別に有名になりたいとか、特別な人間になりたいとか、そういう目的ではない。内面世界はぼくの防衛的本能によって創られたものだ。逃避的、代償的に創られたものだ。じゃあ、そこに価値がないとしたら?価値がないとしたら、ぼくの半生はまったく無駄なものになってしまう。だから、続いて防衛的本能はこの内面世界の価値を認めさせる方向にはたらく……。創作によって。

ぼくという人間の性質はこういったものだ。ぼくはたぶん、創作に向いている人間だ。しかしそれは神に選ばれたとか、天才性を示すものではない。ぼくはただ、少しばかり傷を負った人間なのだ。人間嫌いの臆病な気むずかしい人間。

人間、小さな傷ついた人間、彼こそは創造のもっとも奥深くにわけ入り、原初のままの太陽のほの暗い中心から、最も遠く離れ行ったもの。(D. H. ロレンス)

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