10.12.2014

人生と金について

何も望まなくなってしまった。老人の気分だ。昔のような、ガツガツとした気概はなくなった。毎日分厚い教科書を読みふけったり、英語の勉強をする、女を遊びに誘うような一般的な喜び、出世への道が魅力的には思えなくなった。

かつてはビジネス書を読みふけり、金持ちになることを目標にしていた。また、自分は有能であり、特別な才能を持っており、金持ちになることも容易だという気がしていた。しかし、実際には、金を得るために能力は必要ないと最近気づいた。ただ必要なのは、金を愛する気持ちである。精神論というわけじゃないが、漫画が好きではない人が漫画家になれるはずがない。

幸福や成功の道は金銭的な富裕にあると思っていた。というのも、ぼくは下流社会に育ったから金にはうるさかったし(貧乏人の方が生活のはるかに多くを金銭的苦悩に支配されている)、マスコミなどもバブルの余韻で物質的金銭的幸福を信じていた。

今になっては、静かに読書すること、音楽を愛すること、教養を深めること。そして自分の好むと信ずる道を歩むこと、これ以上に求めるべきことはない。

俗に言う「意識高い系」が幼稚に見えてしまうのは、ビジネス書を鵜呑みにしているからである。ビジネス書は一種の洗脳書だ。当然のように経済的成功=幸福と考えている。生活のリソースのすべてをビジネスに捧げろ、と書いている。だから経済的成功は確かに近くなるのである。そして、それをよくよく批判もせず、自分の性向を探ることもせず、やれ起業家になるだの、出世するだの、目をきらきら輝かせるのだから子どもである。

アレン・カーの書いた禁煙指南のベストセラー本がある。煙草はクソだ、メリットなんてひとつもないぜ、ということが全頁にわたって続く本だ。あれも洗脳のテクニックを利用している。その洗脳はぼくの頭脳も二年間マインドコントロールしたが、今では幸いなことに喫煙を再開している。知性の勝利である。

さきほど言ったように、ぼくは自分の信ずる道を行きたいと思う。

そのためであれば、貧乏の苦渋を舐めることも、だれにも認められず静かに死んでいくのもかまわない。ぼくは少し前から、自分の人生に拘泥することがなくなった。人生とはただの道具だ。金は道具のための道具だ。

人生をきらびやかに輝かせることは、農具をぴかぴかに磨くようなことだという気がしている。本末転倒なのだ。

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