10.13.2014

失恋の痛みについて

ひとりの女を忘れられないということは、陳腐な悩みだ。陳腐な悩みだが、初めの人類が誕生してウン百万年、ろくな解決策も発明されなかった。怠惰な人類のせいで、だれもがこの苦痛を生身のまま受容しなければいけないことになっている。ある作家はその作品の中で、失意の青年にピストル自殺させたが、それが大ベストセラーになったいうのだからよっぽどだ。

ぼく自身も数ヶ月前からひとりの女の幻影にずいぶん悩んできた。しかし近頃ようやっと落ち着いてきた。結局、ぼくは相手を理想化しているのだということを知った。男はひとりの女を自分の中で美しく肥大化させ、それに温かく包まれる空想に浸りたがる。しかし、だれもが知っている通り、彼女は女であり、女神ではない。ひとりの人間なのだ。過ちを犯すし、道に迷う、孤独な、不幸な、ひとりの人間なのである。

ぼくらは拒絶の絶望と孤独の中で、いつのまにか彼女を追うことをやめてしまう。彼女ではなく、ぼくらのそれぞれが抱く女性のイデア……「アニマ」を追うようになる。たしかに、彼女と似た服を着ているし、話し方も似ている。だが、それはもう彼女ではないのだ。彼女の生々しい欠点や人間らしい人格的欠落は、ときの経過とともに都合良く消されていき……いつしか、純然なアニマとなる。完全な理想=イデアであるところのアニマ。

このアニマが、アニマであることに大部分の男性は気づかないでいる。だからしつこく元カノに連絡したり、相手にのめり込み、ひとりの女が人生のすべてであるように錯覚し、ほんの小さな期待に人生を賭ける。ところが人生は映画ではないのだから、ピストル自殺的な結末に至る。

あけすけに言えば、結婚する男の大部分は新婦ではなくアニマを見ているだろう。彼女であれば円満な結婚生活が送れる――と考えているとすれば、それは100%間違っている。幸せな老夫婦を見て、ぼくらは純朴な結婚生活の理想像を夢想するけども、彼らの歩んできた道のりを実際に見てみると、信じられないくらいドロドロしているものだ。

だが、人間の生活とはそういうものだ。迷い、不安で、悲愴であり、不幸なのである。最愛の人が、他の男に心惹かれていることにだれが耐えられるだろうか?しかし、それに耐えてこその円満な結婚生活なのだ。このように、どんな道でも人間の生活は楽ではない。楽な生活なんて、いつかしっぺ返しを喰らうものなのだ。だから、恋が成就してハッピーエンドという作品はどうもピンとこないものだ。恋人が死ぬ方がストーリーは格段に良い。幸福は長続きしないものであり、結末にはふさわしくない。

ぼくは恐らく、今後の人生で……彼女と似たようなアニマに悩まされることだろう。新しい勤務先で、故郷で、旅先で。それを考えると、ほほえましくなる。笑って済ませられるくらいの時は経った。

男はつねに女のイデアを求める。そして、彼女を手に入れたところで、イデアは絶対に手に入らない。たとえ堀北真希を彼女にしたところでぼくは満足できないだろう。その上で、恋愛に対する姿勢を考えるべきだと最近思う。人生が不幸に満ちていたところでやめてしまうわけにはいかない。人間だからだ。ぼくらは恋愛が虚妄であると知りながらも、それをやめることができないだろう。ぼくは次の恋愛においては笑うことを忘れないでおきたい。自分の哀れさを笑うくらいの余裕がないと、たちまち沈み込んでしまう。

失恋に悩む人に、ぼくはかける言葉はない。ただ、苦痛こそが人を成長させ……気高くさせ、そして、君の失恋は大部分の人間の乗りこえた道であることくらいは、教えてあげたいと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿