10.20.2014

高潔であること

高潔になろうと毎日努力している。高潔さとは、誠実であり、貴族的であることだと思っている。世の中には、お金持ちになるための本や友達に好かれる本はあっても、気高く生きるための指南書は少ない。ぼくらはそうした価値基準に立つことは稀だ。金を持っているか、権力はあるか、人当たりはよいか、おっぱいは大きいかに目がいってしまう。しかし人間にとってもっとも大事なことはこの誠実さという態度である。

それでは誠実さと何か。それは、以前言ったように「やるべきことをやり、不要なことをしない」ということに尽きる。この行為の取捨選択が重要である。行為が人格を作り上げるからである。やるべきこと、やるべきでないこととは何か。一つの判断基準に、友人あるいは神に、その行為を堂々と言えるかどうかである。私はこれをした、と相手の目を見て言えるかどうかだ。

そんなことを心がけてからぼくの生活はシンプルになった。ぼくの食生活はより一層質素になったし、また、禁欲を続けている。人間関係についても、円滑に進むよう努力をしている。本当にささいなことの積み重ねなのだと思う。例えばカップラーメンを食べるにしても、毎度スープを飲み干していれば病気になってしまう。「それをしない」という意志が必要なのだ。大したことではないが、それだけで、のちのちばったり倒れて大手術を受けることを避けられる。同じように、ちょっとした軌道修正、日々の理性的な修正によって人間の出来は大きく変わるものだと思う。

禁欲については、まだ若いぼくにとって非常に困難なのだけれど、下劣な妄想をしそうになったときは軽くたしなめてくれる、もうひとりの自分を呼び起こすことで可能になる。この「軽くたしなめる」ということが重要で、厳罰を下す神は不要である。惹起された欲情は、初期であれば消化することができる。だから恐怖というよりも、ずっと注意深さと迅速さが大切になる。というか、スマホのエロ広告マジでやめてほしい。あれは取り締まるべきだ。

ぼくの生活においては、すべきことよりも、禁ずべき事柄が多くあった。数多くの悪習から離れたので、ぼくの生活は実にシンプルになった。外食でラーメンやからあげ定食を食すことがなくなったので、料理をするようになった。肉を焼くときの、野菜を炒めるときの得も言われぬ楽しさよ。仕事の疲れが一気に飛ぶ。まったくぼくは何という思い過ごしをしていたのか。旅の喜びが目的地よりも道中にあるように、本当の幸せとはこういうところにあるのだと思う。友人は自炊をしないという。曰く「料理と片付けに30分かかるとしたら、時給換算で400円無駄にすることになる。外食した方がましだ」と。これは、一見本当に見えて嘘っぱちだ。料理は楽しいからだ。

世の中にはいろんな選択肢があるように見える。欲望は消費によって解消される。本当に人間の持つあらゆる欲求に対し、適切な商品が提供されている。耳かきすら金を払えばしてもらえるのである。社会は成熟した。金は万能のように思える。

科学は確かに発展した。いまや世界中の人びとと瞬時にコミュニケーションがとれる。空飛ぶ自動車の時代はまだだが、300馬力の市販バイクはカワサキが作った。

唐突なバイクネタ

ところが、人間が人間を生みだすことは未だできていない。稚拙なロボットや、万能細胞は作れるとしても。人間の真の目標についても同じである。人間の生まれ持った人生の目標や意味といったものは、相変わらず原初のままであって、人間がいくら手を伸ばしても、それを改変することができていない。だからみな、ありがたがって2000年前の聖書を読むし、バガヴァッド・ギーターの文章が高貴な芳香を持つのだ。人間のやるべき行いとはギリシャ哲学やインド哲学の時代から大して変わっていない。

気高く生きるということは、多少の痛みを伴う。欲望のままに生きることの方が楽に思えるときもある。しかし、そこまで大変なことではない。厳格な戒律に縛られる必要もない。ただ、少しの軌道修正によって可能になることだと思う。重要なことは常に目を開いていることであり、それを続けることだろう。



最近胃が弱っている。ぼくの疲労はまず第一に胃腸にくる。酒を飲むと焼けるように痛む。潰瘍ができているのかもしれない。胃は精神の象徴だと聞いたことがある。日本人はマイナー調の曲(暗く悲しい響きの曲)が好きだが、その理由は西洋人に比べ胃が弱いからなのだと(黒沢明の「生きる」を思い出す)。胃が弱ると、ぼくの精神の均衡は崩れて、昔の女の幻影を追い求め始める。ぼくは仕事にならないので、バイクに跨がって学校から帰って寝る。すべて人生の問題は寝ることによって解決する。肉体と精神を問わず、重病人は大抵ベッドに寝かされて運動を禁じられるが、あれも治療の一環である。ヒュプノスに感謝を(ついでにハルシオンに感謝を)。

ところで、昨日寝ているときに「眼鏡が壊れる」夢を見た。夢診断では、これは見当違いの思い込みをしていることを警告しているのだという。昨日僕は「自分は冒険家なんです!」なんてこっぱずかしいことを書いたが、あれは誤りかもしれない。

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