10.26.2014

生活について

最近はのんべんだらりとやっている。

一日十時間は勉強している。
一日一時間は楽器を練習している。
一日一時間は何か書いている。
一日一時間は読書している。
一日七時間は眠れている。

このバランスが良い。もはや生活にほとんど不満はない。あるとすれば勉強が忙しくて読書の時間が少ないくらい。が、勉強も知識を得るという点では同じなのだから、これもまた楽しいものだ。

禁欲とともに、余暇の楽しみをほとんど捨てた。辞めたのはスマホのネット閲覧とか、テレビを見ること、街で買い物をすることなど。だからぼくの生活はずいぶんシンプルになった。おかげで一日十時間勉強をしても大して疲れない。食事のせいもあるだろう。パンとスープ、サラダ、目玉焼き、納豆くらいしか食べないので、ずいぶん体が楽になった。今まで食べていたガッツリした牛丼、からあげ定食、ラーメンはずいぶん体の負担になっていたことがわかる(年とってそういうのが受けつけなくなったとも言える)。

楽器の練習は一日一時間くらい行うようにしている。短すぎるという人もいるかもしれないが、普通は一時間も練習すればくたくたである。昔は教本には、10やるよりは100やれ、100よりは1000やれと物量攻めだったが、最近の教本では「一日一時間でもいいから楽器に触れろ」とある。ぼくもその方が良いと思う。というのもまずもって楽器の演奏とは集中力を要求するものであり、集中力は普通何時間も持たないからだ。

丸山健二がオススメする小説家のスタイルは、朝の2,3時間ぐっと集中して執筆し、残りは自由に過ごすというものである。これは副業ではなく、「専業」の作家である。一日の労働時間はたったの2,3時間ということになる。しかし、人間にできる創造的な仕事とはこれが限界という気もする。丸山は残りの時間を何をしているのかと言えば、彼は長野の田舎に住んでいるので、たぶん農業をやっているのだろう。いい生活だ。セレンディピティという言葉があるが、案外こうしたフリーな時間で着想を得ることもありうる。

ぼくは来年から働くことになるが、社長と面談したときに徹底して確認したことがある。それは「残業がないこと」「土日は休めること」「有給を取れること」の三つである。というのも、ぼくの本当の生活は余暇にあるのであり、読書や楽器に費やせる時間がなければチューブタイヤのようにパンクしてしまうだろう。それでは仕事にならない。適切な余暇こそ良い仕事に必要なものである。だから、タブーとされがちなこの三つをきっちり質問してやった。こんなぼくに内定を出してくれたのだからいい会社である。

余暇というとどうも怠惰なイメージがつきまとう。こたつに入ってテレビを見ているようなくだらない時間。仕事と仕事の間の、無駄に流すだけの時間。実際に、家に帰ってもそれくらいしかすることはないのだから仕事をして残業代を稼ごうという人もいる。それくらいしかしないのだからもっと遅くまで働けと企業も言う。何というか、貧困な生だと思う。首輪を外され自由となった奴隷は、よりどころのなさに不安を覚えるというが、同じだろう。生活の空漠さを仕事という借りもので埋めているのである。

自己に誠実でない人は他者に誠実にもなれない。誠実でない作品はすべてゴミ屑だ。例えその作品が数億円稼ごうと、教科書に載ろうとだ。よい芸術作品はよい人間からしか生まれない、とぼくは思っている。そしてよい人間はよい生活から生まれ、よい生活はよい行為から生まれる。だから行為の分別を知るということが、誠実さの基準なのである。

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