10.30.2014

理想について

生活が一変して、怠惰になった。

性格区分によると、ぼくは「分裂質の理想型」であり、そういう人の生活はコロコロと移り動くのだとか。几帳面な優等生が、一週間後にはヤンキーになっており、そのさらに一週間後にはまた優等生に戻っているような。……思い当たる節がありすぎて怖い。

怠惰な生活とは、ろくに読書もせずに、友人や後輩と話したり、買い物を楽しんだりすることである。今日は少しばかり読書をした。しかし昨日、一昨日とまるで書物に手をつけなかった。無意味な日々だったと思う。何かを意味づけるものは、未来にある。二度と使われることのないだろうマグカップは無意味である。しかしこれからコーヒーが注がれるとなれば別だ。社交は一時の慰労しか与えてくれない。一方で知識は血肉となり、永遠の暖かみを与えてくれる。だから本を読んで勉強することが大切なのだ。

ところで、ぼくらの人生はすべて、自己と環境の戦いである。ぼくらの生活を事細かに見ていくと、すべての行動の原理は、「自分の理想を勝ち取るため」であることがわかる。ぼくらが仕事をしているとき、歩いてゆくとき、何かを買うとき、パチンコを打つとき、ぼくらは理想を追いかけている。それは現状を変えるためだ。

理想を持っている動物はいない。動物たちの脳では、理想の世界を構築することができない。だから彼らは自分の求めているものが何なのか知らないまま、ホルモンやニューロンの刺激によって衝動的に動き回る。一方で、人は一旦世界から離脱し、内面世界に引きこもることができる。それは想像力によって、である。

少し前にぼくは人間の定義として「自分の死が必ず訪れると認識している動物」としたが、これを「高度な想像力を有する動物」としてもよい。なぜなら死を経験していないぼくらにとって、死は想像の産物だからだ。アンソニー・ストーが言ったように、「想像力は、すべての動物の中で人間においてもっとも発達している」と。

ぼくらは衝動的な欲求ではなく、理想に向かって動く。それは高度な抽象化の技術と、記憶力の成せる業だ。人生に完全に満足し切ってしまう人はいない。年収一億円の人がいたとして、彼の思うことは「もっと稼ぎたい」ということだ。マズローの段階説のように、ひとつ壁を乗りこえればより高次の欲求が待っている。

理想は想像力によってつくられる。しかし、作られた理想はぼくらの脳みその中にしか存在ない。だから、次には、ぼくらはこれを具現化しなければならない。これも人間に与えられた固有の能力である。ぼくらは内面世界を持ち、抽象思考を可能にした。しかし、それは単に逃避先を見つけたことを意味するのではない。そこから現実を変えるという作業が必要になる。理想を現実に適応していくのだ。全て生きるという行為は、それの繰り返しである。

ぼくらの生きている社会では、大部分の人が内面世界を構築しようとしない。彼らは衝動的に動き、動物に近しい存在に思える。また、社会の支配者層は大衆がコントローラブルな動物であるよう望んでいる。市場経済にしても、消費者は動物的であって欲しいと願っている。だれもが大衆に理性など望んでいない。だから、大衆は心置きなく愚昧化する。

一方で、優れた内面世界を持ちながら、臆病や自惚れのために、あるいは能力が足りずに世の中を変えられなかった人もいる。ぼくらに大切なことは、ひとつに自分の声に耳を傾けることであり、次には果敢に現実世界に挑むということだろう。それによってぼくらは真に生きることができると思う。

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