10.05.2014

優れた芸術

酒ばかり飲んで生活している。

本当の芸術とはどういったものなのだろうかと考えている。考えてみると、やはり孤独というものを要求するものなのではないかなと思う。なぜなら、優れた芸術というのは歴史を革新するような斬新さと影響力を持つものであるから……。優れた芸術家の活動の始め、あるいはその生涯はだれにでも認められるものではなく、露骨に無視される、かえって阻害される、嫌悪、侮蔑、批判に晒されるというのが常なのではないだろうか。だから、優れた作品に待っている評価はこき下ろしが常であり、優れた芸術家には峻厳な信念が要求されるものなのだ。

その始めからすごい!と言われる作品は実は大したものではない。だからカフカとか、宮沢賢治、ペソアの作品というのは、夏目漱石や坂口安吾に比べて強烈な個性と色彩を持っている(気がする)。

いつの時代でも成功者は既成のルールに乗っかり、集団や社会を大事に大事にするものだ。だから芸術家とは反対である。芸術家はこの既存のルールをぶち壊さなくてはならない。太宰治が作ったルールを……村上春樹が作ったルールを……壊してやれ。

反時代性を持ちながら、社会を革新する力を持っているもの、そういうものを作らなければならない。そのためには、ドフトエフスキーに心酔していてはならないのだ。こんなもん俺にも書ける、あるいは俺が書きたいのはこんなものではない……という風にならなくては。

集団は批評眼を曇らせるはたらきを持つらしい。どうも、孤独に、自由でないと本当の物の価値はわからなくなってくる。ロバート・パーシグの言ったような「クオリティ」を追求しなければならない。それは自己だけの持つ絶対的な価値基準であり……世界を隔絶し、対象と自己だけの閉鎖系にあって初めて、物の価値がわかるのである。

ぼくらは別にまあ、社会の中でのらりくらりと生きていくことも可能である。しかし誰にも認められず、奥さんに逃げられるような厳しい芸術家の道を行くことも可能である。どちらが良いかはわからない。本当にわからん。幸福というものが、どちらにあるだろうか。人生に然りを言えるのはどちらだろうか。どちらかといえば、後者?うーん。

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