10.05.2014

鏡に負け犬が映っている

最近映画をよく見る。映画はあまり好きではないのだが、今回「ニュー・シネマ・パラダイス」というイタリアの映画を観て感じ入ることがあった。

アルフレードが旅立つ若き主人公にかけた言葉が忘れられない。

「帰ってくるな 私たちを忘れろ 手紙も書くな ノスタルジーに惑わされるな すべて忘れろ 我慢できずに帰ってきても私の家には入れない」
「自分のすることを愛せ 子どものとき映写室を愛したように」

自分のすることを愛する……。

自分のすることを愛する。それができているだろうか?ぼくは。何もかも間違っているのではないか。ぼくの人生は間違いだらけなのではないか。確かに、紆余曲折はあっても、結局すべてに意味があって……ひとつの目標に向かっている……と考えるときもある。今は生活のために、金を稼ぐしかない。夢や目標だって持っている。でも、ぼくは本当はただの臆病なのではないか。後になって振り返ってみれば後悔しかない人生を送っているのではないか。
しかし、人間の生活とはそのようなものだ。それ以上の人生など、だれも望めない。だれもが狭く、暗く、じめじめしたトンネルのような人生を歩んでいる。
とぼくは以前書いたが。本当だろうか?本当に人生とはそんなものだろうか。ぼくはよく飼い慣らされた犬ではないのか。人生に諦めをつけ、社会に屈服しているのではないか。負け犬はまず、自分が間違っていることを覚えさせられる。ぼくは自分を抑圧して……本当の自分にならないまま死んでいくのではないか。

ぼくは今の自分を、自分の行為を、愛することはできない。

ああ、この耐えきれない倦怠!映画のような人生ならいいんだ。60年代、70年代、世の中はシンプルだった。しかし、あまりに濁りきって、何もかもが固着したこの現代の日本の中で闘わなくてはいけないとは。

ともかく、ぼくは生きる。別に、市民たちのために公園を作るだけでもいいんだ。生きるとは、耐えず外圧に向かって立ち向かうことだ……。決して生かされてはならない。生かされるくらいなら、死んでやれ。死んでしまえ。

0 件のコメント:

コメントを投稿