10.07.2014

はてな的な、あまりにはてな的な

新しい倦怠がある。

ぼくと同じように日々の恨み辛みをコツコツと書いていくようなブログがあって、それを欠かさず読んでいた。筆者はぼくよりずっと年上の人もいて、ずっと若い人もいる。みんな頭が良さそうで、教養豊富で、コンプレックスを持っていて、人生がうまくいっていないようなタイプだ。書くことと言えば芸術や科学や新聞記事に感動したとか……ときには感情をそのまま表現することもある。ただならぬ生々しさにぼくは共感していたのだが……。

しかし、それにももう、飽きた。そして一時はぼくを惹きつけたのに、一体彼らはなぜあんなにもくだらないのだろう、と考えてみた。彼らの書いていることは決して文学に見劣りするものではないのである。地下牢の手記的であるし、ラスコーリニコフ的である。青臭くて実験的であるところも文学的だ。ところが、やはり、すぐに公示するというあれがよくない。ブログという形式、ツイッターという形式が彼らを殺している、というわけだ。

基本的に、毎日彼らは書いているわけだが、葛藤はその都度発散されてしまう。せっかく人格の成熟や、創造のタネになりそうな大事にすべき日々の苦悩が、小分けにされてしまい、しょぼい日記に空費され、もはや真剣に悩むということもなくなってしまうのである。書いて、みんなが読んでくれて、それで満足してしまう。ささやかな、悲劇的な文士に祭り上げられて彼は満足してしまう。これがぼくの気に入らない。この人格の停滞感、苦悩の浪費、よくよく消化もせず排泄してしまうような感じが!ぼくは気に入らないのだと思う。

まあこのブログもほとんどそんな感じだったから自戒でもある。じゃあこれから毎日更新するのは辞めにする、というわけにはいかない。ぼくがすべきことは、少し誠実になることである。やはり秘匿すべきところは秘匿すべきだし、出すべきでない感情は押し殺すべきなのだ。下品に、包み隠さず公示するというのは、どうも日本人的でない。奥ゆかしいわびさび、みたいなね。そういうことも大事でしょう。きっと。辛かった、悲しかったですなんて誰でも言えるんだから。ねえ?

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