10.28.2014

仕事について

昨日やっとある仕事を終えた。仕事というか試験なのだけど。それが終わるとどんちゃん騒ぎをしたので、今はずいぶん頭が痛い。

仕事に打ち込むことはそんなに悪いことではないと思う。ぼくは試験のためにコンスタントに一日十時間は勉強したし、試験日が近づくとさらに勉強した。昨日など飯も勉強しながらといった具合だった。けっこうな激務だと思うし、さらにまずいことには、そこまで関心の持てない勉強内容なので、辛いものではあった。

それではなぜその仕事をきちんとやり遂げられたかと言えば、ぼくの場合、周囲の外圧と、試験に落第したときの恐怖が突きうごかしているのである。だれもがそうであるように、できれば試験なんて受けたくない。労働も同じもので、働かずに金が貰えればそれでいいのである。

ところが、実際に試験を終えて思うことは、何かに打ち込むということによって非常な充足感が得られるということである。その努力が報われるか、徒労に終わるかということには影響されない。また仕事の内容を問わない。仕事とはまず第一に抑圧の性質を持っているとぼくは思う。仕事によって人は不自由になるのであり、エネルギーを削がれ、時間を失う。その点では掃除夫も高級官僚も変わらない。ミュージシャンだって、音楽を仕事にした途端に音楽が嫌になる。

ところが仕事を放棄せずにまじめに取り組むとき、人間の能力は初めて発揮されるということになる。人間はどこまでも反動的な生き物である。そのことの意味は、むしろ仕事のような外部の抑圧が、人間の外形を作るということだ。

ぼくらは一見自由に自分を組み上げていると考えている。ノベル・ゲームのように選択肢によって人生が分岐していると考えている。しかしそれは誤りで、ぼくらの輪郭は環境によって作られており、そこに意志の入り込む余地はないのだ。世の中にはレゴブロックのように自分の人生を積み上げていると錯覚している人がいるが(たくさん)、それは誤謬なので、ちょっとした風であっけなく崩れる。

人間を真に成長せしめるものは苦難であり、外圧である。かえって厳しい環境の方がぼくらを幸福に導く。ぼくらはこの抑圧を認識しなければならない。人生は抑圧に満ちているということ、それどころか、抑圧が人生を構成していることを発見しなければならない。そうすれば、自分が自由だと錯覚しておかしな方向へ進んだり、あるいは存在しない自由に向かって盲進することはなくなる。ちょっとしたことに根をあげ、何事にも真剣になれないということはなくなるだろう。

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