10.09.2014

至高体験 - peak experience

今日は小さな至高体験をした。至高体験とはマズローの提唱した概念である。日常の中に潜む絶頂体験とでも言うべきか。
至高体験とは「そのひとの人生でただひとつもっとも嬉しく幸せな、もっとも幸福な瞬間」・・・人間が十分に機能しており、強壮な感じがし、自分に自信を持ち、完全に支配している瞬間のことである。(「マズローの心理学」)

例えば「ジャズバンドのドラムを演奏して働きながら医学校へ行ったある若者は、彼の全演奏のなかで、突然自分が優れたドラマーであり、自分の出来映えは完璧であるように感じる絶頂を3度味わったと後年報告した」というような例である。ほんの些細な日常的な出来事と感じるような瞬間に訪れることもある。家事を終えた主婦が、旦那と子どもが仲良く戯れているのを見て至高体験に達したという。

ぼくは過去何度かこの至高体験めいたものを経験しているが、初めてのときはまさしくマズローの本を買って読んでいるときだった。それから、ドラマーの医学生のように楽器を練習しているときには至高体験は訪れてくれず、もっぱら静かな環境でコーヒーを飲みながら読書しているときに訪れた。

今日の場合は、教授や後輩と長い雑談をしたあと、コーヒーを淹れ、自習室に戻りパット・メセニーの古い音源を聴きながらヘッセの「デミアン」を開いているときであった。

そのとき聞いていたのは"There will be never another you"(あなたなしでは)というジャズ・スタンダード・ソング。たまに「アナナシ」と略されるがすごくダサい。

その瞬間の感覚は格別のものだ。全てが収まるべきところに収まっているような感じ。並大抵の喜びではない。過去のすべてが正しかったし、今後訪れるだろう未来もすべてが正しく進んでいくだろうという感動に満ちた経験である。そして自己は完全であり、自己には何も欠けておらず、それ自体で完成されているという鮮烈な感動である。

ところで、なぜ今日訪れたのか?と思う。コーヒーを飲んで本を読むくらい一日に何回もすることである。たぶん、ひとつ壁を破ったときに至高体験は訪れるのではないかとぼくは思っている。

最近、ぼくはひとつの見切りをつけた。孤独に殻に閉じこもっていた自分にムチうって、大衆の荒波に揉ませてやろうと思った。だから今日は、普段は苦手だった雑談に積極的に参加した。同輩や教授と冗談を交わし、明るく笑ってやった。それは久しぶりの前進であり、恥ずかしさもあったが、小さな感動を与えてくれた。

医学生や主婦も、ジャズドラムの演奏や、夫と子どもの幸せな光景それだけによって至高体験になったわけではないだろう。人間の心理とはそう単純なものではないはずだ。ジャズドラムを叩いていないときにも、生活がある。歩いているときに、夕飯を食べているときにも人間の精神は揺れ動いている。彼らの日常のなかで蓄積した自己肯定感、ふだんは社会的慣習や、固定観念によって抑圧され行き場のなくなった自己肯定感が、その瞬間に一気に表出したのである。

ぼくだって、メセニーの音楽や「デミアン」にそこまで感動したというわけではない。ただ自己肯定感は無意識から首を出すことを望んでいたのだと思う。メセニー、デミアン、コーヒーはそのお膳立てにすぎない。

至高体験。たぶん気づかないうちにだれもがこういう経験をしているのだろうと思う。この暗闇の中の雷光のような瞬間があるからこそ、人生を生きていてもいいか、と思うのである。

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