11.01.2014

社会から個人が誕生したという事実について

「個人が感動すれば、社会は動揺するのよ」(すばらしい新世界/オルダス・ハクスレー)

最近ひとつの事実を知って、いろいろ納得いくことがあった。

「人間一人で生まれて一人で死ぬ」というような成句があるが、あれは嘘だ。なぜなら、ぼくらは必ず母体から生まれるからだ。その時点で母親という他者があり、一人ではない。そしてたぶん父が近くにいただろうし、産婦人科医、助産師、あとは看護師などの数多くの視線に見守られてぼくらは生まれた。

人間の出産は哺乳類の中でも大変な難産である(頭がでかすぎるのだ)。そして人間は極めて未熟な状態で生まれる。この二つの事実がぼくらを生まれながらにして社会的存在としている。ぼくらのその生まれは大変な愛情と視線に囲まれている。

かのベストセラーは「はじめに言葉ありき」で始まるがその通りで、ぼくらの生まれでた瞬間、すでに言葉が辺りを囲んでいる。「男の子ですよ(今は超音波でわかるから言わないか)」「私の可愛い子」でもなんでもいいが、大仕事を終えた母親、職業人たちが何も言葉を発しないとしたら不気味である。また、母親は子どもに語りかけるようにできている。これは慣習というよりは本能的な行為で、どのような民族にあっても、また高度な社会においても母親は赤子に言葉をかける。そして、言葉とは社会の始まりである。ぼくらは母胎から離れて孤独だったのではない。社会という新しい母胎がすでに身を包んでいる。

ぼくが言いたいことは、人間の持つ社会性は後天的に教育などによって身につけられるものではない、ということだ。本来、社会性は極めて先天的に近い性質だ。子どもは泣くことによって母親から乳をもらえることを知っている。これはひとつの社会性である。

ところで、社会性は人間固有のものではない。サルやゴリラの群れを観察してもそこには社会がある。だいぶ本来の意味から離れるが、アリやハチ、あるいはカビのような真菌類についても社会があるとされている。また、どんな未開の部族を探してみても、共同生活を営まない人間はない。

それでは人間と動物の社会は何が違うのだろうか?動物も社会を持っているなら、人間の社会とどこが違うのか。ここが重要な点だ。サルの社会構造は普通、永遠に変わらない。ゴリラたちが「明日からは投票でボスを決めます」なんてやり始めたら動物学者は困惑するだろう。ところが人間の社会は揺れ動く。投票で議員を決めましょう……次には女性にも投票権を……というわけだ。

人間社会と動物社会をわかつ点、それは「絶えず揺れ動き、進歩を目指している」ということである。このことが人間を地上の王者たらしめてきた。その分、陰惨な戦争もあったが……。ともかく、ぼくらの社会は内部から揺れ動き、そのことによって前進するのである。

人間はなぜ人間固有の社会、「進歩的な社会」を持つことができたのか。それは、実は個人が社会から逸脱することによって可能になったのだ。つまり、ぼくらは高度な記憶力と抽象化能力を持っており――それは大脳皮質が可能にするのだが――そのことが、絶えず社会から離れられないぼくらを一時的に内面世界に避難させる。このことによって初めて、空気のように身を取りまいていた社会を対象化し、批判する精神を持つことができるのである。孤独人が社会を動かしたのだ。例えばムハンマド、キリスト、仏陀は、いずれも真理を得るまで長い間隠遁した。

端的に言ってしまえば、ぼくらは孤独に引きこもることによって社会を揺り動かすことができるということだ。一方で、孤独に引きこもることを知らない人間は……高度に社会的ではあるものの、サルやゴリラのような動物と大して変わらない、ということになる。動物は孤独に引きこもることはしない。人間の本態は社会性にあるのではない。孤独にあったのだ

この考え方、つまり人間は初めから社会的存在だったのであり、その気になれば永遠に「個人」になることなく死ぬことも可能であり、ただ内面世界という高度な知性のなせる業によって人は創造性を育み、社会進歩に貢献できる、という考え方は、ぼくの頭の中に一条の光を差してくれた。

フロイトはある民族を研究していて次の事実に大変驚いたという。
集団の心理とは最古の人間心理である、われわれはそう結論づけねばならない。集団の残渣をすべて軽視し、その上で個人心理としてわれわれが孤立させたものとは、もともとの集団心理から、後になってようやく徐々に、いわば依然として一部だけその輪郭を浮かび上がらせたものなのだ。
今となってはこのことをすんなり理解できる。個人が集まって社会を作り上げるというモデルは虚像だった。社会が始めにあり、そこから個人が誕生したのである。


個人的にこれはコペルニクス的転回だった。「社会から個人へ」。これでいろんなことが腑に落ちた。人間は社会を抜け出し、個人になるのだ。


賢明な、または高貴な一切の事物の創始は、個人から出てくるものであり、また個人から出てこざるをえないものである。(「自由論」/J.S. ミル)
孤独――社会に逆らい社会を越える強さを個人に付与する条件 (「一次元的人間」/マルクーゼ)
存在が無を凌駕するように、個人は集団を凌駕する。(「自由と社会的抑圧」/ヴェイユ)

続きっぽいの⇒「個人について」 

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