11.11.2014

幼児的万能感

ここ数日の日記はずいぶん間違ったものだったと思う。それで今、ひどい憂鬱なのだという気がしている。昨日の夜はけっこう陽気だったんだけど……。

人間という生き物は独特だ。自分が自分自身の手綱を握らなくてはならない。正しい方向に進むためにはそのことが必要だ。適切な栄養を与え、ときには休息を与える。そのためには自分の声に耳を傾けなくてはならない。自分が何を望んでいるのか、母親の注意深さで見守らなくてはならない。

母親も誤ることはある。「子どもの健康のためには○○を与えるといい」という風説があるとそればかり与えたり、子どものためを思って塾通いをさせるが、そのことが子どもの十分な発達を邪魔することがある。大事なことは、子どもが本当は何を望んでいるのかを察することだ。彼は医者や弁護士となる前に、ひとりの人間として成熟することを望んでいるものだ。
もし神々があるのなら、どうしてわたしは、自分が神とならないことに、堪えられようか!
とニーチェは言ったが、ぼくもそのとおりの不安に駆られている。ぼくにとって、フーコーやハンナアレントは神のようだ。あまりに優れていてまるで勝ち目がない。ぼくは彼(彼女)らのようには「もはや」なれないということが、ぼくを苦しめる。もっとも、フーコーに匹敵する日本人なんて、ほとんどゼロなのだろうが。

同様に、オバマに匹敵したいという人がいても、アインシュタインを超越したいという人がいても、彼らに待っているのは絶望だけだろう。羽生名人に勝ちたいとか、内田光子に勝ちたいと思っても、ほとんど叶わない。これらの願いは子どもじみている。そんなことは望んではならないのだ。何も知らない子どもか、狂人だけに許された願いなのだろう。
私はなぜ あらゆる人 あらゆる場ではないのか?(アルヴァロ・デ・カンポス)
この憂鬱と葛藤は、人間存在特有の寂しさか。 そう考えると少し救われる。

今日も学校にいかねば。

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