11.12.2014

変人について

ぼくのブログは変だ。異常だと思う。どうもぼくは衆人環視のもとで変なことを口走りたいという欲求があるようだ。露悪癖と言うべきか……。以前もどこかで、そういうご指摘を受けたことがある。まったく事実だと思う。

思い返せば、中学の頃からこうした文章を書いてはネット上に公開していた。十四才のあの頃は、自分の文体は子ども特有のもので、だから大人になれば自然と「天声人語」のような文章が書けると信じていた。ところがどうしたことか、十年以上経っても当時のままである。

いずれにせよ文章を書くことが好きだ。精神がアンバランスな人間にとって、文章は何か救いのように感じられるものだ。「描くという行為にはなにかあるにちがいないぞ、だってたいていの狂人はなにもいわれなくても描きはじめるんだから。」とポルケ。

自分が変人であることを受け入れて、生きることがだいぶ楽になったように思う。「変な奴」と言われるとかえって自分が受け入れられたような気がする。なぜならぼくは変だからだ。

ぼくは集団になじめないようにできている。こちらの警戒心は強いし、集団の方にしても、ぼくのような人間を組みこむには、長い受容期間を必要とする。普通のひとでも集団の中に入っていくのは緊張を要すると思うのだが、なかにははじめから馴染んでしまう人もいるだろうし、数週間かかるという人もいるだろう。ぼくの場合は「2~3年」かかるのである。大抵の初対面の人には絶対に自分をださない。

いわば、「勇気に欠けている」「警戒心が強すぎる」「自意識過剰で他者の評価を怖れている」ということが自分の短所であると思う。よほど慣れた人であっても、近くに座られるとはっきりと不快である。あっちにいってくれよ、と思うのだ。

ところで、ゴダールが「私の作品には批評が必要だ。楽しかったとか、気に入ったという感想はいらない。根拠ある批評こそが次の作品に生きる」と言っていて「さすが」と思った。

ぼくは他者の評価も、批評も黙殺するような、孤高の芸術家というものがあっても良いと思っていたが、そんなものは幻影なのかもしれない。まあカフカや宮沢賢治のような例もあるが、それはほんの一部でしかない。他者に勇気を持って作品を公開するということが必要だ。どこかに必要だ。何かしらのフィードバックを受けねば、作品はあらぬ方向へ行ってしまう。

もっとも、芸術の大部分が孤独を要求するものであるということは事実だと思う。孤独も要求するし、批評も要求するのだ。というか、極論を言ってしまえば、芸術は全てを要求するものだと思う。全てとは、人生を構成する全ての要素のことだ。ひとつの人生を捧ぐ気持ちがなければ、一流の芸術家にはなれないだろう。と偉っそうに言ってみる。

ここ最近はというと、何も成せてはいない。あいかわらず何も起きず、何も身につかず、空虚な日常だ。ともあれ、生活習慣が改善されたのはよかったと思う。かえすがえすも「まとめサイト」や「動画サイト」に浪費された時間が惜しい。今はそういう時間を完全に断っていて、代わりに読書したりライブ映像を観ている。そちらの方がはるかに有意義だ。

生活が意味を持つようになったのは、ここ数年のことだ。読書は本当に人間に必要だと思う。

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