11.13.2014

酒/社会運動

何かやるべきなのだが本態を外してしまっている。

昨日はただ酒で一日を塗りつぶした。恐ろしい量を飲んだ。飲酒という行為は広く公認されているが、実は狂気を理性から台頭させるものであると思う。意志という手綱を狂気に譲り渡すのだ。酒を痛飲したいときには、理性を敗北させたいという欲求や、あるいは理性が敗北したという事実がある。これだけ狂気が封殺された社会にあっても、ひとは狂気を求める。それは逆説的だが、理性こそが狂気を孕んでいて、狂気は実際のところ、驚くほど純粋だからだ。

ぼくの人生はうまく行っていない。うまく行っていると思い込もうとしたのだ。ぼくは、本と楽器があればいいと思っていた。当然ながら、それは嘘だ。もっとやるべき行為がある。ぼくはどうも循環する日々に理想を求めてしまう癖がある。それは極めて強迫的な欲求だ。欲求というか、固定化した日々に「逃避」しているのだ。正しい道へ導いてくれる他者をぼくは必要としていると思う。

ある人が社会運動に熱中しているのを見て、ぼくは少し羨ましく思った。ある運動の一部になること、それが先頭であってもマスの中であっても同じことだが、それを想像してみると不思議な高揚がある。社会をひっくり返し、国家をくつがえすような社会運動に参加することは個人の矮小な悩みをかき消してくれる。マスそれぞれの惨めな人生など、大義の前ではもはや塵に過ぎない。

人は同化への意志を持っているように思う。その同化がある偉大な目的のためであれば余計に魅力的である。だが、ぼくはそれだけに運動からは離れていたい。危険な誘惑だ。

「叫び声があがるところに良き認識はない」とはだれの言葉だったかな。今日はもう学校へ行こう。そして勉強する。

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