11.24.2014

音楽について




コンゴ共和国のスラム街の”セッション”。空き缶から作った楽器、即興。車いすの老人、子ども。

こうした動画を観ると、自分のやってきた音楽はなんだったのか、と考えてしまう。いままでまるで見当違いのことをしてきた気がする。

日本の音楽は荒廃したと言われる。いまやアイドル・グループがランキングを総なめしている。十年前にはだれにも想像できなかったことが今起きている。

大衆から音楽が遠くなってしまったようにぼくは思う。だれもが音楽を聴くことはしても、演奏することは辞めてしまう。みな受験、就活、仕事で忙しいのだ。楽器は遊び、余剰……人生=競争に必要のないものとして切り捨てられる。音楽は商品として買える。何も自分で作りだす必要はないというわけだ。

「仕事が忙しい」。この言葉はあらゆる人間的生活の放棄を正当化する。結婚ができない。仕事が忙しいからだ。眠れない。仕事が忙しいからだ。本が読めない。仕事が忙しいからだ。歯医者にゆけない。仕事が忙しいからだ。

文化的荒廃と労働時間の長さは相関する。一日十二時間はたらき(+通勤片道一時間)、土曜日もはたらく人間に、文化的生活は無理である。憲法では「健康的で文化的な最低限度の生活」が保証されている、はずだがなぜか黙殺されている。少し前には「アフターファイブ」なんて言葉があった。今では一部の幸運な人を除けば、だれもそのことが信じられない。

マルクスは技術の進歩によって未来人(我々)は労働から解放されると信じていた。ところが、技術が進歩するとともにますます人間は労働に縛りつけられた。たしかに優秀なロボットは誕生した。しかし、ロボットは相変わらず高価で、人間よりコストがかかることもある。ロボットは労働者によって使役されるものではなく、労働者と競合する存在になった。結果的に、労働者は安い賃金でクソみたいに長く働くしかない。

長時間労働が日本人を文化から遠ざけたことによって、いま文化畑は荒れ放題なのである。

ところで、現代の音楽家は、社会の底辺にあるように思う。スポットライトと歓声を浴びる一部の音楽家はともかく、その足元では小さなハコや個人レッスンでぎりぎりの食い扶持を稼ぐ大勢のひとびとがいる。彼らは芸術家というよりも、よくて職業人と見なされ、最悪人生の落伍者である。彼らは貧乏を覚悟し、理想を追求した人間なのだが、だれからも尊敬されない。

現代では何もかも金だ。金を持っている奴が偉く、金を持っている奴が賢い。金が倫理に台頭した。今は考えられないが、昔は金と名誉は自然と切り離されていた。金持ちになるためには高貴さを手放さなければならなかった。だが、いまや金のために卑しくなることをだれも気にしなくなった。2014年、資本主義はぼくらの頭の隅々まで浸透したということだろう。

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