12.11.2014

町内会は地域を分断する

先日町内会の実態について調べ、自分なりの結論も出た(町内会ファシズム)。町内会はファシズムであるというちょっぴりラディカルな意見である。

もともと町内会なんていうものを調べ始めたきっかけは、「借家に住みたいけど、町内会嫌だなあ」という嫌悪感だった。メルヴィル風に言えば、「I would prefer not to」。ぼくにとって町内会活動とは何かしっくりこないことだった。

嫌悪感というより、直感的な違和感と言った方がいいかもしれない。多くのひとが、「それくらいなら」と無意識的に行っていることに、意外と大きな誤りが潜んでいることがある。違和感を軽視してはならない。辿っていくと、日本社会のいびつな構造が見えてくる。

この際だから本音を言ってみたいのだが、休日に近所の方々とドブさらいや老人と運動会をするのは、まっぴらごめんである。嫌である。したくない。別に老人の方々が嫌いというわけではない。運動会をする必然性がまったく見受けられない。

もっとも、家の前の落ち葉を掃いたりくらいはするかもしれない。気が向いたら。でも、ドブさらいは絶対にごめんである。ほとんどの場合ドブ=側溝は公道である。それならば市町村の管理である。

なにが悲しくて汗をかきヘドロまみれで市の持ち物をきれいにしなければならないのか。「管理がなってないぞ」と市町村に一喝すれば、業者を寄こすだろう。それで解決する。

餅は餅屋?高圧洗浄車(右)なら数分・数人で終わりそうである。


もしかしたら、自主的にその作業を代行する風変わりな任意団体があるかもしれない。それは結構なことだが、自主的な活動なのだから、それに参加しないひとをとやかく言うことはお門違いだ。



自治会という集団は、大変悲しい集団である。だれもが不幸になるシステムである。

参加している人のほとんどは辞めたがっている。参加しない人は、非国民のような扱いを受ける。子どもが虐められるので、嫌でも入らなければならないという家庭もある。なんという暴力的なシステムだ。

自治会に入らないとどういうデメリットがあるというのか。「ゴミ捨て場を使わせないよ」という殺し文句がある。多くの人がこの脅迫に騙され、屈してしまうのだが、これがまったくの誤りであることは先日書いた。ゴミの処分は行政の義務である。たかが任意団体にそんな権利はない。

それ以外にも、「自治会に入らない家は消防団が初期消火しないよ」と脅すことがある。「自治会に入らないと、災害時に非常食を与えられないよ」と脅すこともあるとか。これらは、本当に大の大人の発言なのか、と心から痛ましい気持ちになる。

つまり、自治会に入っていない家で火事が起きた場合、消防団は一切動かないというわけだ。「火事が起きた?よしきた、もっと燃えろ」と願うわけである。そんな人間ってあるだろうか?

実際に、ある震災が起きたときに、自治会は非常食を備蓄していたため食料が豊富にあった。そこに空腹の非会員が訪れた。自治会は食料を分け与え、非会員は飢えをしのいだ。ここまではいい。自治会はそのときに、「金を払わせた」というのである。

確かに理性的には納得できる。自治会が金を払って買った非常食だから、金を払わずに食べることは理に適っていない。しかし、そこで金を払わせるか?金銭のやりとりをするだろうか?非常時とは、助け合いが必要な場ではないか?

ぼくが命からがら避難所に辿り着いて、空腹で倒れそうなときに「飯はやるから金を払え」と言われたら、ぎょっとする。たぶん人間不信になる。

こうしたこと以外にも、大雪が降った日に、町内会で除雪車をレンタルしきれいに会員の家の周りだけ除雪した、ということがあったらしい。当然非会員からクレームがきたが、「町内会でレンタルしているから」とのこと。たしかに、これも理屈としては理解できる。しかし何かがおかしい。何かが損なわれている気がする。なぜこのようなことが起きるのだろうか?

もっとも、よほど山奥の村でないと消防団とは普通消防署の足手まといだし、よほどの大災害でない限り飢えることはないだろう。(東日本大震災でも調べた範囲で餓死者の報告はない)

ここでは、皮肉なことに自治会が助け合いを阻害している。ふつう自治会とは地域の団結を強めると言われているが、実際には逆の現象が起きている。実は、自治会は会員と非会員で住民を分断させているのだ。自治会は不当な扱いを受ける「仲間はずれ」を生むものである。自治会が「なければ」、災害時にはだれもが平等であり、助け合うことができるだろう。

人間とはもともと助け合うことのできる生きものである。どうやら現代ではこの視点が抜けているらしい。だれだって、傷つき倒れそうな人がいたら介助するだろう。飢えた人があって、手元にパンがあればそれを分け与える。人間とはそのようにできている。助け合いとは多く本能に由来する。ヒューマニズムは尽きることのない泉である。もしそれが途絶えることがあれば、だれかがせき止めているのだ。

だから、自治会なんてなくても被災したひとびとは助け合うことができるだろう。これはいくら賭けてやってもいい。反対に、自治会があるおかげで死ぬ人があるかもしれない。ひとが助け合う心を忘れたときには、何らかの圧力がかかっている。その圧力が自治会である。自治会なんてない方がよほどいい。なくて困るのはだれか。

  • 低賃金ではたらく人足のいなくなる行政
  • 自治会票(特定候補者への応援活動強制、投票圧力)のなくなる政治家
  • 市民の相互監視による統制のなくなる国家

である。これはおそらく真実だろう。自治会の活動に喜びを見出してはならない。自治会は市民を奴隷化する。公正な選挙による民主主義を破壊する。地域を分裂させ、相互にいがみ合うシステムを作り上げる。

とここまで書いたのだが、だれもこうした疑問を呈さないというのは不思議なことである。もしかしたらみな「わかっているけど黙っている」のだろうか。町内会の闇は某学会クラスのタブーなんだろうか?そうだとしたらちょっと怖い。消すかも。

1 件のコメント:

  1. 非常に参考になりました。
    概ね賛同いたします。

    返信削除