12.14.2014

日本の政治について

人民は腐敗させられることは決してないが、しばしば欺かれるのである(ルソー)

今日は一八時までうだうだしていた。

コンビニに行った帰りに郵便受けを見るとアマゾンで注文した古本が届いていた。「いまだ人間を幸福にしない日本というシステム」という本。ヴァン・ウォルフレンというアムステルダム大の教授の本である。

カレル・ヴァン・ウォルフレン(Karel van Wolferen、1941年4月 - )は、
オランダ・ロッテルダム出身のジャーナリスト、政治学者。
現在はアムステルダム大学比較政治・比較経済担当教授

レビューが良いので買ったが、正直期待してなかった。だって、タイトルが三流の自己啓発書か、意識高い系クソブログの記事タイトルみたいだったから。だいたい、外国の偉い教授の書いた本だって地雷は多いのだ。

そんなわけでぱらぱら読んで、じゃがいもを炒めながら読んで、風呂に入りながら読んで、読んで、としていたら六時間で300pを読んでしまった。ものすごく本がふやけた。

要約は苦手だけど挑戦してみる。

この本は、日本の政治構造が、どのようになっているかを説明するものである。

日本の政治の特徴は政治家ではなく、官僚が絶大な影響力を持っているということである。そのため、政治家は基本的に官僚の言いなりになる。

官僚に都合が悪い場合、政治家は圧力をかけられる。例をあげると、小沢一郎は「政治家らしい政治家」だったために検察に検挙された。反対に官僚の言いなりだったのが野田であった。彼は最悪のタイミングで消費税増税を決定した。

官僚は経済を支配し、政治家を支配し、司法を支配し、報道を支配する(例えば、政治家が批判されることはあっても官僚が批判されることはない)。

このように官僚は日本の政治に絶大な力を持っている。ところで、官僚個人個人を見てみると、善良であり、優秀である。彼らは自分の省庁の権力を高めるように働くが、それが国益に繋がると彼らは考えている。そして官僚を統括するような組織はないし、ましてや個人などない。

実際的には官僚がこの国を支配しているが、組織的に共通した意志はない。このように、日本は特定の組織や個人によって先導されることのほとんどない国だった。日本の政治はヒトラーのようなファシストでもなく、陰謀によって動いているのではない。日本の政治は場の空気が支配している。パイロットはいないのである。

日本という国の政治は、「自動運転」によって動いている。政治的主体は存在しておらず、そのため政治的結果の責任を負うものはいない。他国では厳しく追及される説明責任accountabilityが日本ではほとんど存在しないこともこれに由来する。よって、この国がどこへ進もうとしているのかだれも答えてくれない。答えられない。

日本の政治構造は、このように空洞なのである。



……というのが本書の大まかな流れ。ほか、なぜバブル経済に陥ったか、なぜぼくらが不幸なのか、なぜぼくらは政治に無関心なのかもきちんと説明してくれている。詳しくは本書で。

ところで興味深いことに、この本が書かれたのは二十年前なのだが、文庫版(2012年版)では大幅に加筆されている。そのなかに、以下の文章があった。

いま我々は非常に重大な議論に入ろうとしている。本書のオリジナル版を執筆していた当時の私は、アメリカと日本の関係が奇妙だと感じていた。これが異常だと思ったのだ。だがその後の二十年でこの考えは劇的に強まった。
本書で繰り返し説いたように、真の意味での政治的な中枢が日本に欠如している状態が、日本が異常なまでにアメリカに依存するというこの両国関係にきわめて大きな影響をおよぼしていることが、私にも次第にわかってきたのだ。つまり政治の中枢が欠如しているから、日本はアメリカに依存し続けている、ということなのだ。(p272)

お気づきになられましたか……という気分だ。

この本、どうも日本とアメリカの関係を軽視しすぎではないかと思っていた。これではまったく日本が主体的に戦後を歩んできたかのようである。アメリカは日本に民主主義と経済の扱い方を教えた国、程度の関係くらいにしか考えられていなかった。ウォルフレンは日本とアメリカの関係を、EUとドイツくらいの関係だと思っていたのだろう。

たしかに日本は中枢の存在しない組織である。だれもかれも場の「空気」によって動き、そしてその空気の是非は問わない。ところがそうした前頭葉なき社会は、どうして生まれたのか。結局、そこにはおきまりの黒幕であるところのアメリカさんがいるのである。

もっとも、そこにはウォルフレンの指摘するように徳川幕府や明治政府の影響もあるだろうけども、それが直接の原因として求めるのは間違いだと感じる。アメリカ人はそのような性質を恣意的に利用して、かつての徳川幕府の位置にすぽんと収まった。とこのようにぼくは考えている。

こうした日本の現実は、チョムスキーの動画に表れているなあと以前ぼくは感じた(原子力村は日本人の村である)。インタビュワーが「日本の原発事故はなぜ起きたのか」「これから日本はどうなるのか」と問うのに対し、チョムスキーは「我々を振り返らねばならない」としか返さない。ここで我々とはアメリカ人である。つまりチョムスキーは日本が頭脳なき国であり、日本の不幸の責任の所在はアメリカにあることを見抜いていたのだ。



香港の学生デモから日本へのメッセージ――


この動画を観て、感動したという人がたくさんいる。

が、ぼくは心動かされず。香港の民主運動はすばらしいことだが、彼らは日本が民主主義国家であると考えている部分で誤っている。

個人的には、一票によって何も変わらないと思っている。だって、まともに議論するような土壌が国民にできあがっていないのだから、投票なんて意味はないよ。

投票ってのは個人がやっても意味ない。市民各々が権利意識をもって、活発な議論があって、じゃああいつはダメだな、あいつがいいな、という揺りうごかしと合意がないと意味ない。ここでいう合意は、宗教団体の、特定企業の、町内会の持つ抑圧による組織票ではない。市民が団結しないと国は覆らない。分断された個人の一票じゃ国は動かしようがない。

テレビで毎日「政治家の腐敗」なんて報道観て、騒音まきちらす選挙カーを見て、さあ選挙だから投票しましょうなんて言われる。「あなたの一票が~」とわめきちらす。空虚だ。

そりゃ、調べれば候補者や政党の情報がある。でも、市民は労働漬けで時間がないし、それに政治のことを考えることは名誉でないとされている。政治のことは考えないでまじめに働いてね、という空気感がある。

しかし選挙はいってね、というこの矛盾。


まあとにかく

明日は選挙だ。






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