12.18.2014

陽あたり、日月神示他

4DK駐車場付きリフォーム済み家賃60000円という異常に安い物件があったのだが案の定事故物件だった。

「実はお伝えしなければいけないことがあるんです」
「なんですか?」
「八~九年前に不審死がありまして……」
「不審死w 自殺ですかね」
「ええ、あの、まあ……」

事故物件でも別にいい、とそのときは思っていた。ぼくは幽霊を信じない。理系人間、学究の徒である。しかし、こうも考える。自殺は偶然に起きない。何かの理由があるはずだ。それを解明することも科学ではないか。

というわけで物件を詳細に調べてみると、玄関は南側を向いているのだが、リビングなどほとんどの部屋の窓が北東を向いていることに気づいた。陽当たりが最悪なのである……!

個人的に、陽当たりは最高に大事である。ヨーロッパ人たちは日本人が陽当たりに拘るのが不思議らしい。日本では、南向きの家は北向きの家よりも何百万円も高い。反対に西欧では、「家具が日焼けするだろ」と北向きを好む傾向もあるのだという。

しかし、ヨーロッパ人は日本のことをまるで知らない。日本は湿気地獄なのである。陽があたらないと、どうも気分が陰気になる。部屋がじめじめ暗くなる。カビだらけ。寒い。解放感がなく、牢獄にいるようだ。そんな家に住んでいたら、自死の感情を抱くこともあるだろう。

すいませんが、やっぱり事故物件ということなんで……と断った。不動産屋も、ああそう、気にしないでね、といった具合だ。もう何度も断られているようだ。

ちなみにぼくのボロアパートはほとんど陽があたらない。実家にいるときあてがわれた自室も、陽があたらない(おかげでぼくのような負人間が育ったわけだ)。今度こそ陽にあたりたい!ひとの精神はぽかぽかと陽にあたる部屋で寝そべるだけで、回復するものだ。

ぼくは食堂などの席取りでたいへんまぶしい席に座るようにしている。同伴する友人などは辟易としている。しかし太陽にきらきら輝く料理こそ大変に美しく、食欲をそそるとぼくは感じる。蛍光灯の無機質な光にあてられた食品は死んだようである。

また、ぼくはブラインドを閉めない。陽にあたりながら勉強するのが好きだ。身体が日光を求めているのだと思う。



ぼくは幽霊を見たことがない。しかし、幽霊くらいあってもいいかもなあという気がしている。

フロイトの弟子である心理学者ユングは集合的無意識の存在を指摘した。そしてこうも言った。「無意識はその存在を知られたがっている」。

そこに死者の感情が含まれるか知らないが、怨恨のような強い感情はいったん集合的無意識に蓄積され、そこから他者に顕現する、ということもありうるかもしれない。

もっとも、ユングの「集合的無意識」は多くの精神医学者、心理学者が否定している。「あいつは夢想家だ」と思われているようである。しかし、ラディカルな発言というのは何百年もたって見直されるものである。

最近オカルト系がマイブームである。といっても、江原某とか細木某のようなつまらないショーマン(≠シャーマン)とか、血液型占いのようなものではない。そういうものは、学問に対する遊び、精神医学に対する享楽的な心理テストのようなものだと思っている。

んで勉強しているのは日月神示という預言、神託。戦前、「国常立尊(スサノオ)」というえらーい神様が岡本天明という画家に天下り、数々の預言を残した話。スサノオはアマテラスの弟。イザナキ、イザナミの息子。

「日月神示」上つ巻第一帖の原文写真。暗号めいている。

これ、めちゃくちゃおもしろい。ほんとおもしろい。けっこう直感的にそうだよな、となる預言も多し。

「皆何も天国に行くようになっているではないか。この世でも天国、あの世でも天国、なぜ、喜び受けぬのぢゃ」
「真の信仰に入ると宗教に囚われなくなるぞ。真の信仰に入らねば、真の善も、真の信も、真の悪も、真の偽りも判らんのぢゃ。今に岩戸ひらいてあきらかになったら、宗教いらんぞ、政治いらんぞ」
「他の神を拝してはならんという、そなたの信仰はそれだけのもの、早う卒業結構」
「何処の教会も元はよいのであるが、取次役員がワヤにしているのぞ。今の様は何事ぞ」(「日月神示 完全ガイド&ナビゲーション」より)
宗教に関する事柄は納得いく。ぼくは無宗教だが、ある種の信仰心はもっている。「宗教のいらない時代がくる」というのは個人的にありがたいことである。

「清くて富むのはまことぢゃ。地も富まねばならんのぢゃと申してあろうが。これから先は、金儲けばかりもできん。今までのような、神信心ばかりもできん。神の道を進むものは、嫌でも金がたまるのぢゃ。金がたまらねば深く省みよ。道に外れて御座るぞ。人は罪の子でない、喜びの子ぞ」(同)
なんとなくこれは感じていた。結局、正しいことをしている人間に対してはだれもが放っておかないし、金の余剰があれば、彼に分け与えるだろう。なぜなら彼は正しく金を使うからだ。

「一(はじめ)の火 消へてゐるでないか、まだ判らんか、都会へ都会へと人間の作った火に集まる蛾の様な心では今度の御用出来はせんぞ」 
田舎に行く自分にとっては、そうだよな、と納得。何のための御用出来かは後述。

「神にまかせきると申しても、それは自分で最善をつくして後のことぢゃ。努力なしにまかせるのは悪まかせぢゃ。悪おまかせ多いのう」(同)
けっこうくすり笑ってしまうお説教のようなものもある。

で、そろそろ悪神とスサノオの決戦が始まるようだ。

スサノオは日本古来の神によって封じられたが、その神々は外国の悪霊にそそのかされたようである。その悪霊はロシアに生まれた。八頭八尾の大蛇、すなわちヤマタノオロチである。でもって、これが悪さをしてまた悪霊をつくった。すなわちインドとユダヤの地(イスラエル?)の悪霊である。インドの悪霊は、金毛九尾白面の悪狐(「うしおととら」を思い出すなあ)であり、イスラエルにおいては邪気が凝り固まって鬼の姿となり、邪鬼を生みだした。

この悪霊の三つどもえの働きによって、諸国の国魂の神の統制力はなくなり、地上の世界は憤怒と憎悪と、嫉妬と、羨望と闘争などの諸罪悪にみちみちて、ついに収拾すべからざる三界の紛乱状態をかもしたのである(「霊界物語」出口王仁三郎)

と。言わんとしていることは何となくわかる気がする。世界はユダヤ人が牛耳っているのだ、というと陰謀論めいているが、あれだけ財をなしていて権力を持っていないわけがない。権力は金持ちを放っておかないものだ。インド人やロシア人はどうかわからないが、インド人は非常に頭脳明晰である。また、旅行したときの印象では、非常に狡猾である(たくましいとも言える)。もちろん驚くほど優しく純粋なひともいたが、狡猾な奴は、ほんとうにすごく狡猾。陰謀をはたらいていても不思議ではないよ。

ともかくこうした悪霊たちを近々スサノオが成敗するらしい。おかげで日本人もほとんど死に絶えるとか。しかし日本は復活し、西洋が失墜し、今度は日本が世界一の国になるのだという。なぜなら日本こそがすべてのはじまり、神の国だからである(ほんとか?)。

「悪神よ、日本の国をここまでよくも穢したな。これで不足はあるまいから、いよいよこの方の仕組み通りの、とどめにかかるから、精一杯の御力でかかりて御座れ。学問と神力の、とどめの戦ぞ」

わーいスサノオさまかっこいい。神道ばんざい。日本は神の国だー。






以下どうでもいいこと。

直感的にいって、ぼくは金持ちになる自信がある。なぜかはわからない。ぼくは大して金を望んでいない。望んでいないから入るのかもしれない。

また、直感的に言って、ぼくは優れた才能をもっていると感じる。才能とは何か、ということを考えると、余計なものをつぎつぎ捨てていく能力である。たとえば楽器を演奏
するときに邪念がまじると、楽器や音楽そのものに対する没頭沈潜ができなくなる。だから、何かを得るということは同時に何かを失うことである。何かを失うということは、何かを得ることである。

これまで「幸福や自由、愛情は存在しない」ということを書いてきたが、撤回したい。どうもぼくは純粋な幸福や自由を見たことがないために、これらの存在を否定したらしい。幸福や自由といったものは純白の絵の具のようである。つまり、何かの色に染まりやすいのだ。愛情は少しのコンタミ(汚染)で、何にでも変化する。折檻や詰め込み教育でさえも「子どものため」という愛情の顔をする。世の中はそんな類の自由、幸福、愛情で溢れかえっている。だからぼくは世の中を見回して絶望し、存在を否定したのだ。しかし、純粋な幸福、自由、愛情はどこかに存在するだろう。ぼくの中にあるかは知らない。ただこれから得られるだろうことは直感している。

我々の生きるのは生によってなのであって、機械や理想によってではない。そして生とは我々衷心のレアリティである生きた自発的の魂にほかならぬのだ。自発的な、生きた、個体の魂、これこそ生の鍵なのであり、これ以外にかぎはないのだ。自余はすべて派生的なものである。(『無意識の幻想』ロレンス)

そんなわけで楽観的に生きていきたいと思う。

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