12.03.2014

家族について

今日は実家から戻ってきた。実家へは、バイクで三時間で帰れる。

父親に遠方の田舎へ就職することを報告すると、残念がっていた。とくに祖母は深く落胆していた。ぼくの実家には父親と、祖父母が住んでいる。祖父は年で介助が必要な状態だし、祖母はずいぶん腰が曲がってしまった。実家はちょっとした屋敷だが、かなりガタがきている。「今からでもいいから実家に住んでほしい」というのが家族の総意のようだ。

ぼくは実家の住環境が嫌いではないし、実家から通える仕事の口はあるのだが、薄給だし、だいぶ忙しいようだ。やはりある程度金を作ってから帰りたい。ふすま一枚ではプライバシーもなにもない。実家の土地に、離れを作ってそこで過ごしたい。

祖父母が今後どうなるのか、わからない。この家はどうなるのだろう。兄が帰ってきてくれればよいのだが。兄は一昨年結婚して、妻とともにどこかへ引っ越した。たぶん近くではたらいているはずだ。そろそろ第一子が産まれるのだと祖母が嬉しそうに語っていた。祖母もひいおばあちゃんということか。腰は曲がっても、祖父の世話に、農作、家事、ずいぶん元気だ。気候と食べ物がいいのかもしれないし、あるいは、はたらいていた方が健康によいのかもしれない。

祖父が亡くなったら、祖母はどうなるのだろう。一気に老け込んでしまいそうだ、ということを考える。ぼくはまだ身内の死というものに遭遇していない。だれもかれも健康だ。もっとも、庭の木の剪定中にハシゴから落ちたり、がんの手術をしたりとそれなりのクライシスはあるのだが、総じてみんな元気である。いちばん最後に参加した葬式は……隣の男の子が、高校生にして病気でなくなったときだ。普段は明るい男の子の母親がボロボロと泣いていたのが記憶に残っている。ぼくが中学生の頃だったと思う。それ以来葬式には参加していない。

祖父母がぱったりと亡くなっても、それは自然なことだ。年齢が年齢なのだから。しかし
、ぼくはそのときどのように感じるだろうか。ぼくの死と、他者の死は違うものだ。しかし、肉親の死とはどういうものだろうか。ぼくは祖父が亡くなっても、動揺はしないだろう。それはやはり自然なものだからだ。しかし、残された家族の反応を見ると、ぼくは感動してしまうだろう。考えると嫌なものだ。しかし、いつか必ずくることなのだ。

  ……

洗面所に行くと、四、五個のパチンコ玉が置かれていて驚いた。父が始めたのだろう。父は退職してから暇を持て余しているようだ。国産のスポーツカーを買って、峠でぶつけて廃車にしている。それから大人しくしていたようだが、次に始めた趣味がパチンコとは、我が父ながら悲しくなる。仕事一筋というわけではないが、がんこで、融通の利かない人間だったはずだ。当たって喜んでいる絵面も、外して怒っている絵面も気持ちが悪い。


この家庭は恐ろしく暗い。ぼくのような根暗な人間が育っただけはあるだろう。両親が離婚して数年後、母親のところへいくと、神妙な顔でこう言われた。「あんたの父さん自殺したって聞いたけどほんと?」と。そんなことはない、普通に生きていると言うと、「友達にそう聞いたから」と。田舎だから、変な噂でも立っているのだろう。父は木訥な人間であり、深く物事を考えない。自殺なんてしないだろう。もっとも、人間なんてわからないものだが……。親子であっても、気持ちなんてわかるものではない。



家族というものを、ここ数年間、ぼくは無視していた。ぼくは家族に対し、極めて冷淡だったと思う。まあ、これからも冷淡であるだろう。ぼくは家族というものになじめないようにできている、と感じる。どうしてそうなったかはわからない。ぼくはあらゆる組織になじめないのだ。家族にも、学校にも、研究室にも、部活にも。これは生まれつきそうなってしまったので、今更変えられないという気がしている。

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