12.04.2014

幸福が苦手

ぼくという人間はどのように生きていくのがよいか、と考える。最近はずいぶん幸福になってしまった。ぼくは狂気と正気の間にいる人間ではなくなった。笑顔が増えた。冗談が言えるようになった。いままでは、「おはようございます」と挨拶するときに、口角をあげることなんて絶対にできなかった。それが、今ではにっこりと笑うことができる。嬉しくなくとも、嫌なヤツでも、ぼくは笑うことができる。ぼくの病気も、快癒に向かっているのかもしれない。

ぼくがかつて思い描いていたような、「文筆家になる」という目標も……健康で幸福な立場から見ると、なんだかバカげている。なに、そんなに肩肘張るなよ。お前はそれなりに金も稼ぐし、満足いく生活ができるだろうさ。毎日釣りをして、バイクで遊んで、きままに暮らすんだ。悪くない暮らしだろう?死ぬことや死んだあとのことなんてどうでもいいじゃないか……。大事なのは今、だろう?稼いで、消費して、家庭を持って、当たり前の幸福を維持するんだよ。そんなことができる人間も、今ではだいぶ少ないんだ。くだらない洋書を読まずに、村上春樹を読め。かっこつけた音楽を聴かずに、J-POPを聴け。そして、笑って、何も考えずに生きていくんだ。みんなそうしているんだし、お前もそうするんだ。大部分の人間が、死を受けいれていく。人生にそれなりに満足して死んでいくんだ。お前だけが逃れるわけにはいかない。お前だけが逃れられるわけはない。

という風に自分に対して思うけれども、やはり、ぼくは生きる意味というものを考えると、くだらないルーチンな労働や金稼ぎ、グルメやツアー旅行などのくだらない浪費、あるいは功名心にかられた愚劣な行為などとは距離を置きたくなる。なにもぼくは世間の人よりも高潔というわけではない。ただ無駄なことはしたくないのだ。

ぼくは授業にほとんど出席しないので学生間で有名らしい。また、出席をとるとすぐ抜け出すので、お利口さんグループは眉をひそめているらしい(ケッ、おぼっちゃま共が)。授業を抜け出してすることといえば、楽器をやるか、本を読むか、寝るかだが……ぼくは結果的に、「優」を取る。しかしそれでいいのだ。ぼくが教授であれば、授業にすべて出て「不可」を取るバカは大嫌いだと思う。逆に、授業に出ないで「優」をとる奴がいれば感心するだろう。結局、ぼくはこの学生生活の間、ほとんど授業に出なかった。出ても寝ていた。一年目はそれで失敗したが、あとの六年間は無事過ごした。このように、無駄なく効率的に生きることが大切だ。でなければ、人生はあっというまに過ぎ去ってしまう。

話を戻そう。ぼくという人間に何ができるのだろうか?と考えるし、そもそも何かするということに意味はあるのか?という風にも考える。

ぼくは別に文筆家にならなくてもいい、と考えている。前にも書いたと思うが、ぼくが目指しているのは「人間になる」ということであって、それ以外ではないのだ。鳥が空飛ぶように、獅子が駆けるように、人間が人間であるときに人間は、もっとも美しく、もっとも力強く、もっとも善い存在になりうるのだ。こう考える。至ってシンプルで、良い目標じゃないだろうか。

岡本太郎の言葉を思い出す、インタビュワーが「あなたは絵を描く一方で、彫刻するし、本も書く。一体あなたの職業はなんですか」と問うと、彼は「私は人間だ。」と答えた、という話。岡本太郎という人物にぼくはだいぶ影響を受けたが、あの人はずいぶん孤独で寂しい人だったと思う、しかし優れた芸術家というものは常に笑うときに泣き、泣いているときに笑っているものだ。

「人間になる」だと?お前はロボットになりたくないという。奴隷になりたくないという。そんなことが許されると思っているのだろうか?人間に自由は不可能だ。……

人間の自由の不可能性、これも人間らしいものだとぼくは考える。人間はやはり、時代性から解放されるというわけにはいかない。いくらがんばっても、当世流の社会の流れ、歴史性から免れ得るものではない。だから、人間は自由というわけにはいかない。完全な幸福がありえないように、完全な自由もありえない。自由とは誤謬である。何からも解放されて、内なる自己に沈潜するのも結構だが、そこに帰着することはできない。だから、そこから何かを持ち帰らねばならない。

最近ぼくの精神はどこまでもぼくのものではないという気がする。ぼくの肉体は移ろいやすいものだ。結局は借りものだ。両親の肉体からの借りもの。ぼくは卵子が受精し、細胞分裂した結果である。両親もその受精卵の結果である。祖父母もそう、辿り辿っていくと、ぼくの肉体は借りものだ。じゃあ精神はどうなのかというと、これも自由ではない。ちょっとロボトミーで前頭葉をかきとってみれば、人格というのは変わってしまう。肉体も精神も借りものである、しかしぼくという存在は、肉体の朽ちたあとにも残るという気がする。その残ったものが、現世に残るのか、別の次元へ飛ぶのかはわからないが……。こうまで行くと、宗教的な話になってくる。ともかく、こうした考えから、ぼくは自分の肉体に固執せず、精神にこだわるということをしないだろう。

ぼくは肉体的快楽から離れ、精神の呪縛からも離れ、ただ人間存在にとって有益なもの、善や真や美といったものを追求するだろう。


と夢想めいたことを書いてみた。ぼくは最近幸福である、しかし幸福というものが本当に苦手である、幸福の中にありながら怠惰と無明のなかに落ち込まなかった人はいないだろう。恋愛は一時的に楽しくとも、あとでこっぴどい目に会う。いつかぼくは大変落胆するだろう。始めからそのことを知っておいた方がいい、とこう思う。

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