12.17.2014

権力の正体

あらゆる抑圧的な社会は権力というこの宗教で強化されている。(「自由と社会的抑圧」シモーヌ・ヴェイユ)

最近権力構造というものをスープでも煮込むようにじっくりことこと考えていた。なぜならばぼくにとって権力は嫌いなものだからである。権力に人格をおかされ、また権力によって支配されているひとをたくさん見たからである。

でまあ最近、権力の仕組みが少しわかった。これから言うことは、個人的に重要なことである。あなたにとって重要かは知らない。

権力とは、「離れられない」ことに由来する。

「離れられない」ということ。これが権力の正体だ。

離れられなくするには、縄や鎖で縛りつけるのが手っ取り早い。奴隷はつねに、首に枷をつけられているものだ。現代では鎖をつけられることはない。首枷は表面上取りはらわれたかのように思われる。しかし、その本質的な機能はいまでも残っている。



現代では少し巧妙になった。ほとんどの奴隷は、自分を奴隷だと思わなくなった。首かせは慎重に、周到に取りつけられた。法律によって。会社によって。教育によって。婚姻によって。そして、家庭によって。

奴隷たちは自分を不自由だとも思わなくなった。事態はますます悪化した。「私は自由だ!」という奴隷たちの悲しい賛歌が鳴りひびくのが現代である。


ふつうの人間たちは、「人と一緒にいられない」ことに哀しみを見いだしている。孤独は悪いことだ、という教え、これもまた権力によるものである。メディアで、教育で、会社で、そのように洗脳される。だから、「人と一緒にいられるよう」「他者に愛されるよう」自分の能力を高めようとする。コミュニケーション能力、礼節、金銭、美貌、清潔さ、性格改善、こびへつらい……。徒労である!

声を大にして言いたい。ひとは、素のままで、生まれたままで、愛されるようにできている。

そのことを忘れさせるのが権力のはたらきだ。


ふつうの人間たちは、「離れること」を怖れている。離れた先には、凍えるような寒さと絶望しかないと考えている。組織から離れれば、生活の破綻がまっていると考えている。実際は、日本のように温暖な食料あまりの国で、生活が破綻するなんてありえないのだが。

この恐怖もまた、権力のはたらきである。だれもが組織にすがろうとする。奴隷のようにはたらかせる組織に、迎合する。彼は「献身」する。寝食をおしんではたらき、嘘のような薄給でも文句を言わない。生活の崩壊の恐怖、これが彼を縛りつける。権力の首枷は恐怖によって構成されている。


ふつうの人間たちは、権力の上位にのし上がることが、自由を得ることだと思っている。平社員よりも社長の方が自由のように見えるものだ。しかし悲しいかな、ほんとうの自由は、そこにはない。

努力すれば自由になれるという考えが、彼を狂走させる。昇進への努力と、競争の摩擦が、ますます権力を強大にする。実際のところ、自由とは権力から離れなければ存在しないのだが!
誰もかれもが王座につこうとする。これがかれらの狂気だ、まるで幸福が王座にあるかのように!だが王座にあるのはしばしば泥にすぎない。また王座がしばしば泥の上に乗っていることもある。(ツァラトゥストラ「新しい偶像」) 

以上、権力の様相をざっくりと描写してみた。

だいいちに、権力の根本は「離れられなくする」ことにある。それは、見えない首枷をつけることである。

その枷は何で造られるか。「孤独を恐ろしいことだ」「組織は生活に必要だ」「自由は王座にある」と思わせることによってできている。(他にもあるだろう)

以上は企業と労働者という関係に焦点をあてたが、カップル・夫婦のDVや、日本の歪んだ教育、資本主義、さまざまな分野の問題を説明することであると思う。

組織-人間の関係はともかく、人間-人間の間に権力が行使されることは本当に悲しいことだとぼくは考える。

ちょっと稚拙な論考というか、時間がないので一気に書いてしまったけども、ぼくにとってこの考えはひとつの武器になるものだと思うのであります。ああああ、学校いかなきゃ。めんどくせえ。


Turner "Slave Ship"

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