12.25.2014

話のつまらない

世の中にはいろんなひとがいる。いろんなひとがいるのだが、興味をそそる人となるとわずかにしかいない。退屈な人びとの何が悪いかと考えてみると、「常識」のような権威に弱いことがあげられる。

会話をしていておもしろい奴らはみな常識を破ってる。彼らは軽々とタブーを乗りこえる。あけっぴろげな性の話、宗教の話、勝手に始まる星座の歴史とか、素粒子のロマンに興奮しだす奴とか、最高におもしろい。赤信号をつっぱしり青信号で止まるような素敵な奴らだ。

常識はぼくらの会話をせばめる。あたりさわりのない日常会話ほど退屈なものはない。昨日みたテレビの話とか……ショッピングの話……仕事の話……もういいよ、だまってくれ!君の話はもう何万回も聞いたから……。

となる。

ところでぼくが「仕事とか超めんどくせえ。もっと楽しいことで食いたい」「田舎で釣りしながら猫と暮らすのだ」というようなことを言うと、「まじめなひとたち」にぼくはさんざん嘲笑され、いじめられる。お前はバカだな、キャリアを汚す気か、お前は夢を見ているんだ、というようなことを言われる。

アホか。

実際のところ、夢を見ているのは君たちである。きみたちは、敷かれたレールの上を歩むことが、正解だと思っている。ところがそれは間違いだ。ざんねん、気づいたときにはもう遅い、君は老い、君の人生はだれかのために費やされてしまっている。

ぼくは理想主義者だと言われる。夢想家だと笑われる。ぼくは笑ってうけながす。本当の理想主義者は、きみたちなのだから。いじわるな顔をした彼らの首には、ぼんやりと枷が見えている。ぼくがこの一年の間にとっぱらってしまった枷が。

きみたちは夢を見ながら一生を終える。それもありなのかもしれない。

結局、だれもかれも不幸だ。権力者は不幸だ。奴隷たちも不幸だ。それを離れて見ている、一見自由な立場にあるぼくも、不幸なのである。なぜって、こんな社会が憎くてしかたないからだ。ぼくとは、ぼくと環境のことだ。不幸なひとを前にして幸福でいることはできない。

ほんとうは、みんな自由に生きていけるのだ。それなのに、だれもかれも、首に枷をつけている。外そうよ……。気づけば、外せられるよ。いま外さないと、もう難しくなるよ。ぼくは消え入りそうな声でそうつぶやくしかないのだ。

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