1.24.2015

自己とは、自己と環境である

オルテガの有名な「自己とは、自己と環境である」という言葉は、まず第一に高貴に生きる人間の崇高な義務をあらわしている。

オルテガの指摘するところによれば、ぼくらはまず人間の社会のなかに生まれた。それはとうぜんで、ぼくらはたんぽぽの種のように遠くまで飛んで自生するわけではない。母親の肉体から生まれたのであるし、母親だけでなく、助産婦や父親、兄弟や学校、ひろく社会に囲まれて生きている。

人間はまず社会的存在だった、というのがオルテガの意見である。

ところで人間には社会的性質のほかに、ふかく内面世界を探求するという能力をもっている。社会を拒絶し、孤独に引きこもり、思索にふける。このとき人間はいっけん反社会的である。単純に反社会的な価値観をもつことが多いということでもあるし、実際的な仕事、交遊を離れ、観想的な世界にひたる人間は、消極的に反社会的であるといえる。

じじつ、内面世界の慧眼をもったひとは、大衆を批判する。衆愚から離れようとする。オルテガはニーチェの影響を深く受けていたから、大衆嫌いも受けついでいるのだ……。

人間を最も根本的に分類すれば、次の二つのタイプに分けることができる。第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々である。(「大衆の反逆」)

ところで、内面世界をふかく探求したところで、何が得られるというのだろう。それはひとりよがりの真実なのだろうか。オナニー的な、というのは、発見者ひとりで消費するような類のものなのか。

そうではない、はずである。そうであるなら、孤独な散歩のなかに生まれたカントの哲学も、ただカント自身が愉しんでおしまい、ということになる。

オルテガが考えたところでは、ぼくらは内面世界で良い知識を得たとしても、そこでとどまってはならない。それを現実に適応せねばならない。

行動はそれに先立つところの観想によって律せられていないならば不可能であり、またその反対に、自己沈潜は未来の行動を立案する以外のなにものでもないのである。
それゆえ人間の運命は、まずもって行動である。われわれは考えるために生きるのではなく、かえってその反対に、存在し続けるために考えるのである。(「個人と社会」)

人間と社会は、切り離せない。たしかに内面世界は楽しく魅力的な世界ではあるが、人間は社会から離れてしまうこともできない。行ったのであれば戻ってこなくてはならないのである。

だから、オルテガは「自己とは、自己と環境である」とした。自分の人生をよりよくするためには、ただ知識を身につけて、ゆたかな感性世界に生きるだけでは不十分である。社会にはたらきかけ、環境を整備しなくてはならない。これが、高貴な人間、つまり知性的で勤勉な人間の義務ということになる。

義務、というものは嫌なものである。できればない方がよい……。人間のゆたかな思想は、まったく自由でくびきから解き放たれたように思うけれども、そこには高貴な人間のもつ責任があり、公示と施用の義務がある、とオルテガは指摘したのである。

……である。

「自己とは、自己と環境である」という言葉が、あたまから離れずに書いてきたのだけど、これをいったのは、オルテガだったよなあ。なんか、違う気がしてきた。ググっても出てこない。

それにしても、「自己とは、自己と環境である」とは良い言葉である。なにか禅的な響きをもっている。

自己が自己にとどまらず、環境を含有するのであれば、自己=自己+環境となる。そうして、自己+環境=自己+環境+環境=自己+環境+環境+環境... といったように、自己がある一点から、世界に浸潤してゆくような、無限に発振してゆくようなスペクタクルを感じる。

もっとも、この数式は論理的には成りたたない。環境=0であるなら、成りたつが、環境はゼロではなく現実に存在する。しかし、仮に自己→∞であれば、どうだろう。環境が任意の実数であることも成りたつことになる。

自己が無限であるときに、自己は環境を浸潤していくと、そう考えることもできる。……言葉遊びだな。



けっきょく「自己とは自己と環境である」という言葉が、どこで聞いたものかわからないが、木村敏が似たようなことを言っていた(いつもこのひとを「きむらびん」と読んでしまう)。

自己とは、自己と世界とのあいだ――現在の事物的世界とのあいだだけでなく、当面の他者とのあいだ、所属集団とのあいだ、過去や未来の世界とのあいだなどを含む――の、そしてなによりも自己と自己とのあいだの関係そのもののことである。(「関係としての自己」)

けっこうオルテガと共通するところがある。

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